ジュリエット革命





 県立甲稜高校。その校舎の裏、比較的薄暗い場所―――ま、早い話一日中校舎の影に隠れてて、じめじめしている所っていうことだ―――に、それはある。
 手前には、昨年新築されたばかりの運動部系のぴかぴかの部室棟を眺める。横にはとことんまで日差しを遮るべく立っているとしか思えない大木。まさしく日陰の身とはここのことを言うのだ。その衰退たるや、涙なしには語れない。ほんの二年前jまでは図書館横の日当たりのよい快適な部屋を部室として下賜されていたのだというのに! それも、そう、二年前、図書館増築の犠牲となってしまった。そして、悪意あるとしか思えぬ措置として、この、類まれなる悪所!吹きだめ!湿気の溜まり場!たるこの地へ飛ばされてしまったのだ!!
「今こそ、我々『古今東西歴史研究会』が立ちあがるときが来た!」
 三十分前から延々と繰り広げられ続けている山岸真希(やまぎし まき)女史の演説はクライマックスに達しようとしていた。
 それをありがたくも拝聴しているのは、「古今東西歴史研究会」の映えある部員たちである。左から、部長である山岸女史と同じく3年の坂口香苗(さかぐち かなえ)、その横に天然入った顔立ちの宮迫希(みやさこ のぞみ)。彼女がただ一人の2年である。そして、その横がぶーたれている鈴木航平(すずき こうへい)1年、やたらと感情の起伏の激しい男の子である。ついさっき、あいつ―――この古くて汚くてじめじめしている部室で、唯一のびのびとできるソファーに寝そべるようにして部長の話に耳を傾けている男―――航平と同じく1年の川瀬彰一(かわせ しょういち)と口喧嘩をしたばかりである。どうやらその影響で、ご機嫌斜めになっているのだ。
 ………これが、「古今東西歴史研究会」の正式メンバー全員である。予備役として登録されている平井始3年は、1ヶ月ほど前から再び入院生活に突入してしまったので、数にカウントするわけにはいかないだろう。
 つまり、部員がたったの5名というのが、「古今東西歴史研究会」の台所事情であり、二年前の大事件―――当時も似たり寄ったりの部員数であったという―――の、引きがねとなった最大の理由である。その被害者として実際に部室変更の苦汁を舐めさせられた山岸女史の口調は激烈であった。
「坂口香苗!貴方はこの事態について、私と同じ心境を持ちえるただ一人の部員だが、如何に考える?」
「そうですね………憂慮していますわ。だってここ臭くありませんか?」
「確かにかび臭いな!出来る限り空気の入れ替えは実施しているのだが………」
「でもここって、校舎のせいであんまり風が通らないんですよぉ〜」
 とのんびりと言うのは宮迫希である。のんびりどころかその話し方はかたつむりレベルだと航平などからは指摘されている。
「そうだ!それこそが生徒会の思惑なのだ!やつらは部費の削減―――それも弱小からの削り取りを図っているのだ!つまり我々のような部員の少ない、実績のない部を廃部にせしめて、実績ある部に横流ししようとそういうことだ!!」
 そのために、このような悪条件の重なったボロ小屋に廃部寸前の部を押し込めて、早期廃部を促せようという腹だ!
 山岸女史の鼻息は荒い。
 二年前の屈辱を思い出しているのかもしれない。前にも、「”カノッサの屈辱”ならぬ、”部室の屈辱”だ」などど表現していた。
 しかし、それを聞きながらも、航平の頭の中には違う怒りが渦巻いていた。
(ちくしょ〜。あいつ、俺の愛する三国志をバカにしやがった!)
 人を上から―――あいつ、川瀬の方がでかいんだからそれは仕方ないのだが、上から余裕たっぷりの目で見下されて、頭に来ない奴なんているのだろうか??
(三国志なんぞ史実を無視したただの三文小説………って、言いやがった!)
 確かに、航平もよーく知っているのだが、14世紀・元代末に羅貫中によってしたためられた「三国志演義」が、現在一般的日本人が想起する三国志のイメージの基となっている。その作品たるや、陳寿による正史(史実のみ記載)「三国志」をベースに、講談(客を前にして、面白おかしく話して聞かせる小話。商売上、当然趣向を凝らしている)で演じられていた物語、民間伝承などを纏めて作り上げたものなので、史実無視!演出度大!劉備大好き!のオンパレードなのである。
「本当は劉備だって、あんな聖人君子じゃないんだろ? せいぜいが夜盗のボスってところじゃねぇー? それに、諸葛公明も実は負けてばっかなんだろ? 学者だから仕方ないけどなァ! どうしても一人決めろって言うなら、俺は曹操が好きだね。ダ・ヴィンチ級のマルチ天才ぶりは『史実』だからなあ」
 くっそー。くっそー。くっそー。
 航平だって、曹操は嫌いじゃないのにそう言う風に言われると頭に来る。
 ダ・ヴィンチ級のマルチ天才という形容も、彼の軍才とともに詩人としての才能も広く賞賛されていることから言っているのだろう。逆に、航平の愛する蜀軍はこてんぱんにけなされた。”信望に篤く義を重んじる”劉備を「夜盗のボス」、軍師の代名詞とも言える諸葛公明を「負けっぱ」である。反論したくても、反論できる論拠がない。
(………だって俺、三国志好きって言っても、正史読んだ事ないんだもん!!)
 がっくしである。
 川瀬の愛する分野である中世ヨーロッパ史には欠片も興味がないので、それを貶す材料すらない。
 そのままソファーに寝そべって読書―――それもしっかりちゃっかり中世ヨーロッパ史を取り扱った歴史書である―――を始めた川瀬を歯軋りして睨むしか航平には出来なかった。
 そうこうする内に、山岸女史が坂口香苗を引き連れて部室に入ってきたのだ。そして、入ってくるなりのかの演説である。航平の怒りのもやもやは燻りつづけていた。
(川瀬めぇ〜〜〜お前には絶対、ぜぇっったいに「真・三国無双2」貸してやんないぞ!)
 話の発端となったゲームソフトを思いだし、さらにそれを川瀬に貸してやろうとわざわざメモリーカードつきで持ってきてやったことまで思い出して、自分にもムカついてくる。
(今日、帰ったら1000人斬りだ!)
 ストレス発散には最高のゲームなのだ。□ボタン連打で△、そして○ボタンをいれてフィニッシュだ。
 プレイヤーは劉備で、曹操軍を敵に設定しよう、などと妄想していたときである。耳に山崎女史の声が乱入してきた。己の名が聞こえたのである。
「………というわけだから、わかったか、鈴木航平!! 君と……川瀬彰一に我が部の命運はかかっているのだ!!」
 びしっと人差し指が叩きつけられる。
「え………俺が、命運? 川瀬とかかってる?」
 己の怒りばかり燻らせていた航平はきょとんとした顔で、現実認識が為されていない。
 そこへ雨あられと山崎女史の言葉が降ってきた。
「まったく君はいつまでたっても落ち着きがないな!人の言うことは一回で頭に入れろ!………ったく。ことは一刻をも争うんだぞ。もう一度言うからよーく聞け。今度の文化祭、再起の作戦として舞台を10分借りた」
「舞台………?」
「そうだ、有志に配分される時間帯に食いこめた」
「で、ナニすんの?俺たち、歴史研究してるだけだよ?……つーか、まともに研究してるわけでもないし」
「………余計な一言は多いな!航平、君は舞台が何をする所かも知らないのか?」
「何するって………えええっ、部長歌歌うの??」
 頭がいいけど変人な山岸女史に素っ頓狂な声を上げる。山岸女史は眼鏡をずり上げた。
「なんで私が歌を歌わなきゃいけないんだ? 他にあるだろう、舞台といえば!」
「他……他ねえ………、!って!! まさか部長、演技すんの!?」
 またもや、調子の外れた声で山岸女史を滑らせる。
「だから、なんで私が演技しなきゃいけないんだ? ………さっき、航平、君に命運がかかっていると言っただろう!」
「ええっー、俺ぇ??」
 今度はちょとパニクった悲鳴。自身を指差して山岸女史に目を向けた。
「そうだ。正確には、君と川瀬、二人だ」

     + + + + + + + + + + + + + +

 そしてジャスト5分後の事である。
 押したら横倒れに崩れそうな部室を轟かす悲鳴が上げられた。
「嫌だぁあああああああ!!!! 俺、絶対にヤだかんなぁああ!!!」
 この部内でこれだけハイテンションに雄叫びできる人物なんてそうそう限られている。つまり、声の主は航平である。
「ヤダヤダヤダヤダっ! 川瀬、お前ももっと反対しろ!!!」
 川瀬にぎっと向き直って言い募る。
「お前だって嫌だろ!? 演劇ってキャラでもないしな!な!な!?」
 ソファーに転がった川瀬を揺さぶって同意をもぎ取ろうとする。
 航平は必死だった。
 なぜなら先ほど山岸女史の口から飛び出た「古今東西歴史研究会」再起復活計画たるや、航平の度肝を抜いて日干しにしてからからに乾かせた上で航平に味見をしてみろというようなレベルの、とんでもない作戦だったからだ。
 曰く、今日の我が部の衰亡たるや、ひらに新規部員の加入低迷による。つまり、話しはごく簡単で減るもんを減らし増やすもんを増やせば解決の道が開けてくるのだ。つまり、この悲惨な部室と決別する事も出来るということだ。
 というわけで、早急に部員を獲得せねばならない。まあ、早い話、人気を掻っ攫えばいいわけだ。タイミングのいい事に、1ヶ月後には文化祭がある。その場で全校生徒に「古今東西歴史研究会」ここに在りとアピールし、なおかつ「楽しそうな、面白そうな」部だと認識させればこれに越したことはない。
 そこで考えた策こそ、我が部「精鋭」による演劇だ。なに、歴史ってこんなに面白いものなんだと思わせるだけだからそんなに完璧な演技力など求めていないよ。ただ、そうだな。適役としては君たち二人しかいないんだよ。女では面白くない………げほげほっ………務まらない役だからね。平井はその点ある意味適役なんだが、いかんせん、今ウチの男子部員は君らだけだからな。………いや、期待しているよ。
 ――――そこまでの山岸女史の話は航平も冷静に聞けたのだ。演劇という手段に納得しきれないものはあったが、頭の切れる山岸女史の事である、歴史講釈のつまらないものには成り下がらないだろうが………
 航平は少しわくわくしながら続きを待った。俺の役ってなんなんだろ? と平和に考えてもいた。
 が、その後の話の展開は航平の顔色を変えさせた。
「演目は、やはり歴史認識の浅い一般生徒でも受け入れやすい『ロミオとジュリエット』がいいと思う。あの話なら、どんなに活字嫌いでも読んだ事―――もしくは聞いた事ぐらいはある話だからな」
 ここら辺で、航平も首をひねる事になる。なぜ、自分と川瀬で世紀の悲恋モノなわけだ??
「あの、やたらと長ったらしい話を十分間で出来るとは思えないので、かなりの部分省略する。―――というより、話の前半部分は当時の歴史講釈も汲みこんで私がナレーションする事にする。航平と川瀬にやってもらいたいのは、ずばりクライマックスという事になる」
 「ロミオとジュリエット」のクライマックスといえば、あれだろう。
 テラスにいるジュリエットが、窓の下にいるロミオに「ああ、ロミオ。なぜ貴方はロミオなの?」ってやつ。これが1つ目。でもこれは、話の後半部とは言いがたい。
 つまり、部長の言うクライマックスとはあっちのほうだろう。
 仮死状態になる薬を飲んだジュリエットを本当に死んだとカンチガイしたロミオが、自らも薬を飲んで死ぬ。生きかえったジュリエットは側で息絶えたロミオを発見し、悲しみのまま彼の短剣で胸を突いて自害するというフィナーレ。抱き合ったまま死んでいく恋人たちが見るもの・読むものの感情を高める。
 ……って………んん?? なんか、ものすごく今胸に引っかかったぞ?
 その場面といえば、登場人物はただの2人だけで、他にはロミオの友人(死んじゃったけど)マキューシオや、ジュリエットの従兄弟ディバイオも婚約者もお父さんも出てこないじゃんか!
「部長、なんかおかしいんだけど!! なんでロミオとジュリエットしかいないのに俺と川瀬なわけ? ミスキャストじゃ…………んぇ?え?ええっ!?」
 なにやらぞわぞわと胸騒ぎがする中、山岸女史に言って、そしてその指摘が少しも山岸女史の考えを揺るがす事がなさそうな事を、彼女の不敵なほほ笑みで航平は悟った。むしろ、その事が目的のような………
 山岸女史は硬直した航平の肩を叩いた。
「航平、これは我が部の命運をかけた起死回生の策なのだ。演劇部がある以上、演技力で話題を掻っ攫うのは困難だろう?個人レベルの羞恥はこの際耐え忍べ。これは部長命令だ。励めよ」
 肩からずしんと衝撃が走った。
 個人レベルの羞恥って、それって、つまりそういうことかよぉぉぉぉ!!
「ムリだああああ!なんで俺が川瀬とラブシーンやんないといけないワケ!? それに俺と川瀬で2人ヤローだし、どっちがロミオでどっちが………ジュリ、エッ…ト……か………」
 叫びながら、部室を見まわして、航平はだんだんと勢いがしぼんでいくのを感じた。
(なんなんだ。この、俺を見るコイツラの視線って………なんか、なんか!)
 山岸部長の口元を覆う手とか、坂口先輩の薄く細められた目とか、宮迫さんの期待に膨らんだ鼻の穴とか………なんか、1つの決定が為されてないか? 暗黙の了解みたいに、俺の知らないうちに決まっちゃってるような………
 航平は首を回して川瀬のほうを振りかえった。
 そして、川瀬のニヤニヤした顔を見て、現実を悟った。
(こいつのが、俺よりかガタイが良いんだよぉぉおおお)
 寝そべって、姿勢悪くしていてもわかる背の高さ。2人の決定的な違いで、それがこの際決め手となった。
「まあ、厳然たる事実だ。泣くな、航平」
 変換すると「イヒヒ」という邪悪な笑いになりそうな、芯から意地悪そうな声で川瀬は言う。
「誰が、どこからどう見てもロミオが俺で、お前なんかジュリエットだろ?」
「ジュリエットって言うなああああ!!!」
 バカぁぁああと泣き崩れる航平である。まだ高校一年生で、男は高校生になっても伸びるという俗説を固く信じて牛乳を飲みつづけている航平である。女役なんてショックもひとしおである。それも二人に一人で自分が全会一致で決定されたなんて、母親に崖から突き落とされた子ライオン以上だ。
「嫌だぁあああああああ!!!! 俺、絶対にヤだかんなぁああ!!!」
 というわけで、かの悲鳴が上げられるわけである。
 川瀬だって、自分がロミオというましな配役であるとはいえ、全校生徒の前で男との絡みは避けたいはずだ。
 振りかえって断固反対の同志を求めた。
「ヤダヤダヤダヤダっ! 川瀬、お前ももっと反対しろ!!!」
 しかし、川瀬は寝そべったまま、なにやら真剣に検討中の様子だ。
「お前だって嫌だろ!? 演劇ってキャラでもないしな!な!な!?」
 左右に揺さぶって、反対運動への参加を促す。しかし川瀬は、う〜んと唸って山岸女史を見遣った。
「部長、それで廃部はなくなるんですか?」
「君らの活躍次第だかな………ま、私の予測では新入部員が二年から三名・一年から四名と出た。この際、新規の質は問わない予定でな」
「ふ〜ん。それなら部長たちがいなくなっても廃部はなさそうですね」
 川瀬はひとしきり納得したように頷いた。その仕草が航平の恐れをかき立たせる。
「な、なにを納得しているのかな?川瀬くん、まさかやるなんて言わないだろーな………」
 言葉の端を振るわせながら、否定してほしい気持ち満載で言う。
 が、川瀬は航平の肩を自分の側に寄せると皆に宣言した。
「よし。ロミオは引き受けた」
 
     + + + + + + + + + + + + + +

 ヤロー同志のラブシーンで全校生徒の話題を掻っ攫い、この際誰でもいいから新入部員を獲得するという作戦は、航平の「個人レベルの羞恥心」を置き去りにして着々と進行しつつあった。
 宮迫はさっそくその話を友人連にリークしたらしく、噂は瞬く間に甲稜高校内を駆け巡り、航平としても進退極まった。部室に一歩たりとも―――ましてや、山岸女史と川瀬の影すら踏まないように戦々恐々とストライキをしていたのも、まったく無意味となる。
 航平は観念したように三日ぶりに部室へ赴いた。その背に、「よぉ、ジュリエット!頑張れよ!!」などど言う同級生のからかい混じりの野次が突き刺さる。泣きっ面に蜂とはこの事だろう。
 校舎の渡り廊下を越え、裏口をくぐる。全体的に影のかかった裏庭に出た。大木のすぐ脇の部室に向かう。
 部室の、今にもはじけ飛びそうな蝶番に注意しながら扉を開けた。
 まだ早い時間帯なので誰もいないと思っていたのだが、そこには川瀬が一人いた。椅子に深く腰掛けて、足を机に投げ出した行儀の悪い姿勢で読書をしていた。音に反応して、こちらを振り向く。
「お〜、ようやく現れたか」
 首だけでこっちを向いて、にやにやと笑った。
(くっそ〜。一番会いたくない奴に一番に会ってしまった)
「うっせーな。お前に会いに来た訳じゃねー」
「ほぉ。ジュリエットがロミオじゃない奴に会いに来たってねえ。ソイツは一体誰だか」
 すでに首は戻して、声だけがこちらに向けられる。視線は本に落とされていた。
「自分がロミオだからっていい気になりやがって!」
「俺がジュリエットじゃ、タッパ的にムリだからな。知ってるか、ジュリエットって本当は13歳のガキなんだぜ?」
「なんだよそれ! 俺なら13歳のガキで、その上女の役が似合うってそう言いたいのかよ!!」
「い〜え、滅相もない。俺はただの事実を述べただけです」
 あちらを向いていても、笑っているのがわかる。俺の反応を楽しんでるんだろう。前からコイツはそんなくせがある。
 航平は川瀬の正面の椅子へ歩み寄った。川瀬をねめつけてその席に座る。対抗するように航平も足を机に乗せるが、勢いあまって後ろに椅子ごとつんのめりそうになった。
(ちくしょー。カッコ悪い)
 結局片足だけ机に、残りは椅子に掛けてその足に体をもたらせる姿勢で収まった。
「聞きたい事があるんだけど」
 航平は改めて川瀬を見やった。
 読書に専念してるかに見える川瀬は、そのまま本に視線を落としたまま「なに?」と問う。
 はっきり言って失礼な態度である。が、航平はそんなことはどうでもよかった。胸の中にこの三日間ためこんだ鬱屈が、もっとずっと大きな問題だった。逃げていたが、機会があったら川瀬に聞きたかった事。
「どーして、やるって言ったんだ?」
 航平にしては低くて、重みのある声。しかし川瀬は動じない。
「どうしてって、やんなきゃ部が潰れるだろ?………ま、やっても潰れるかも知れないけど。世の中、どんな青春映画もやったもん勝ちと相場は決まってるからな。努力した奴はイイ目に出会える」
 うんうんと自分で納得しながらも読書を止めようとはしない。航平は言い募った。
「そんだけかよ?」
「それだけってな。それ以外にどう理由がつけられるんだ」
「だって………」
 航平は自分が赤くなるのを自覚していた。聞くのは恥ずかしいが、聞かないでいるのはもっとストレスが溜まりそうだ。
「だって、俺がジュリエットだぞ! お前、わかってんのか!? いいか、はっきり言って置くぞ、この俺、れっきとした高校男児の俺がジュリエットであって、どっかそこいらのカワイイ子とのラブシーンじゃないんだぞ!まじで、あの、部長お手製の台本見たのか、台詞読んだか、演技指導項目理解したのか!? お前と俺は全校生徒の目の前で愛してるって叫びまくりの、抱きつくまくりの、とどめにキスまがいまでやるんだぞ!!」
 ほとんど涙声で叫ぶ。
 川瀬は呆れかえったように航平を見返した。本を机に置く。
「キスって、フリだろ〜。寸止めだよ」
「寸止めでも、同じようなもんだろ!!」
「別にイイじゃん。減るもんじゃないし」
「へっ、減らないけど、なんか、マイナスにはなりそ〜」
 彼女なんか航平の半生で存在しなくて、これからが勝負のときにこんな事やらかしたら、ものすごく嫌なイメージつきそうじゃんか!それに、航平は男役じゃなくて女役なのだ。
「とにかく、お前、想像力あんのか!? ヤだろ? 一緒に部長説得して、もうちょっとましな台本に書き直させようぜ。な、な?」
 すでに部長を説得して、「ロミオとジュリエット」自体なかったものにしようという考えは捨て去っている。これだけ全校生徒に知れ渡ったプロジェクトを、あの部長が頓挫するとは到底思いがたい。であれば、台本だけでも修正させようというのが航平の魂胆だ。
「………いや、それもムリだな。肝心の所を宮迫さんがばっちり新聞部にリークしちゃったからな。みんな、絡みだらけって期待してるぜ」
「まじ?」
「まじまじまじ。本当にキスするのかで賭けしてるやつらもいるらしいって噂。………それに、話題沸騰を狙ってる部長が、わざわざ盛り下げるような修正をするわけない。修正するならもっと過激な方向だろうな。ぜったい、止めておいたほうが身のためだぞ」
 確かに、あの部長ならそんなしっぺ返しもやりかねない。航平は指摘にぞぞぞぞーと青ざめるのがわかった。
「それよりもさー」
 川瀬はこころもち体を倒した。―――机を間に、二人の距離が狭まる。
「航平さ、そんなにヤなわけ?」
「は?」
「だから、俺とじゃ、嫌なのかって聞いてんの」
 寝耳に水の質問に、航平は顔色を再び青から赤へと塗り替えた。
「な、なに言ってんだよ」
 かああああっと火照っているのが感じる。赤外線を発しているみたいだ。
「俺は、ジュリエットなのが嫌であって絡みとか、恥ずかしいし………みんなの前だし………俺、男なのに………」
 自分でも相当何を言いたいのかわからないような、言葉の羅列。
 ずっと、三日間、なんで川瀬が了承したのかってことばかり考えていて、自分にそういう疑問を適用したことはなかった。それに、川瀬はロミオだからまだましで、自分は女役のジュリエットで………だから、本能的に嫌なのであって。
「べ、べつにお前だからヤってわけじゃ、ない、けど」
「ふうん」
 川瀬は机に両肘を突いて、顔を支えながら生返事をする。
「じゃーさー、そんな問題ないだろ?おれだって、お前なら嫌じゃないし。演技だろ、演技?寸止めだし、野球でもサッカーでも勝ったら野郎どうし抱き合う事もおかしくないし。こんなんで部員増えればラッキーって発想換えろよ」
 諭すような口調。
(なんか、今、さりげなくすげーこと言われたような)
 航平はなぜだかドキドキと心臓が鼓動を早めていた。
「う、うん」
「まあ、余興だ。せいぜい、盛り上げてやろーぜ。―――って、部長はかなり完璧主義だから、それなりの修行を言いつかってるんだけどな。相手役がスネて逃亡してたからな〜俺も一人でなにも出来なかったってワケ。―――っつーわけで、ほら、さっさと用意しろよ、行くぞ」
 川瀬は急かすように航平に向かって手を振った。自身もすばやい身のこなしで立ちあがり、扉に手をかける。
「行くって、どこに?」
 ぎぃーと軋んだ音を立てて扉が開く。普通なら光が差し込む時間だが、この部室の場合電灯がついた部室に影が差しこむことになる。
「決まってるだろ?道場破りだ」



NOVEL<<    >>中編




PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル