―――千回好きって言ったら、それは「本当」にはならないのだろうか?
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「来いよ、航平」
ほれほれ、とばかりに川瀬彰一(かわせ しょういち)は手をくいくい振ってみせた。
そんな挑発だけで顔を真っ赤にさせて俯くのはジュリエット………こと、鈴木航平(すずき こうへい)、ぴちぴちの高校一年生である。眉より上の前髪が、屈みすぎで目に入りそうだ。
(………ってか、そんな反応されると俺のが困るんだけど)
あくまで、全てが演技なのだ。―――それがどれほど阿呆らしいシナリオだとしても。バカどもの享楽を満たしてやるだけ、興味を引かせるだけが目的として作成されたシナリオだとしても。
(ウチは逼迫してるからな………)
だからこそ、このように羞恥を忍んで演劇なんかしないといけないのである。
いや、演劇というよりも、寸劇というか………究極のギャグというか………男二人で「ロミオとジュリエット」を熱演するのである。熱演とは言葉のままで、その五分間の上演時間のほぼ全てがラブシーンという代物。しかも、それを見て、廃部寸前の正規部員5名という古今東西歴史研究会に興味を持たせて、あわよくば新規部員獲得という魂胆が主軸にあるため、やたらと熱烈ラブシーンの連続なのだ。見ているほうはそれなりにウケるだろうし面白いだろうが、やっているほうは、この航平のようにそれはもうめちゃくちゃに照れくさいのである。
なにせ、公衆の面前で―――こうやって、キスとかするのだ。もちろん、高校の学祭である、キスといっても、寸止めで最後までするわけではないのだが―――とはいえ、額ぐらいは山岸女史の脳内R規制をパスしているらしくて。
「おっ、お前ちゃんと目、瞑ってろよ!!」
泣きそうになりながら言う航平は、男の川瀬から見ても可愛くて仕方なかった。今までひたすらにガキだと思っていた航平が、こんなにいじらしい顔をするなんて、多分こんな機会がなかったら気づきもしなかっただろう。ずっと、その表情を見ていたくて、川瀬は意地悪く告げた。
「お前がちゃんとできるかチェックしてやってるんだよ」
「かかかかか川瀬が、チェックしなくてイイだろ〜〜〜〜〜!!!!!」
羞恥で潤んだ目からは、今にも大粒の涙が溢れそうだ。
「早く目瞑れよ〜、もお!!」
跨るように川瀬の上に乗っている航平が、耐えかねたかドンっと川瀬の胸を叩いた。またその仕草が駄々こねてるガキみたいで………今までの川瀬ならしょーもねーチビだなと切り捨てるところが、かわいーコトするなと変換されているのだ。印象というか、雰囲気というか、立場が変われば人間の心ってやつはこうも変化するもんだなと我ながら興味深い川瀬である。
あんまり意地悪すると航平は本気で泣き始めるので、川瀬はようやく要求どおりに目を瞑ってあげた。
「ハイハイ………どーぞ」
とばかりに、己の額を指差してやる。ここにちゃんとしろよ、というジェスチャーである。
きちんとした返事は返ってこなかった。かわりにごくりとつばを飲みこむ音がかすかに耳に入ってきた。
しばしの沈黙。体勢を整える動き。一つ、大きく息を吸いこんで。
「愛しています、ロミオ。あなたのいない世界で生きていくことは出来ない」
震える台詞。相変わらず慣れない航平。
しずしずと―――躊躇いがちに上体が降りてきて………額に、熱を感じた。
(………なんか、めちゃくちゃ………)
この瞬間が一番苦手な川瀬であった。
どうしようもなく、体内で、いかんともしがたく荒れ狂う欲望が、止めど無いから。
その寸前までは楽しめても、熱を感じたらもう、どうしようもない。
「航平………」
瞼を開く。体勢を戻しかけていた航平とばっちり視線を交差させる。
思いもかけない川瀬の視線に、どぎまぎと目を泳がせる航平。逃がさないように、その視線を他へ向かせないように川瀬は言葉をつないだ。
「愛してる……」
意識せずに口を突いた言葉だけに、川瀬自身も意味を理解するのに刹那を有する。流されている、という感覚だけがあった。
瞠目したのは航平である。限界までその目を見開いたら、しぱしぱと忙しなく瞬いた。
「バッ、バカ、その台詞はそこで言うんじゃないだろーっ!!!!!!!」
「………あ」
「川瀬のバカ、大バカっ! 俺心臓がぎゅーんって縮んだぞ! 今、俺絶対寿命が減った! 確実減った!!」
「………」
そうかな? と思ってしまった川瀬であったが、口には出さなかった。
(間違ったのか………俺?)
タイミング的には、これに勝るものはないっていうぐらい完璧なシュチュエーションだったような気もするのだ……が。
(………も一回やったらわかんね〜かな)
川瀬はその思いつきのまま航平の頭を捕らえて引き戻そうとした。己の額に力ずくで口付けさせようとする。
そこへ第三者の差出口が入った。
「……一体いつになったら君たちはマトモな演技をしてくれるのかな?」
すこし苛々が混じった、演劇部部長の紺屋の声である。川瀬と航平の所属する古今東西歴史研究会の部長・山岸女史の委託を受けて演技指導をしてくれている貴重な先生だ。自分たちだって、当然文化祭で上演する演劇があるにも関わらず手を貸してくれているあたり、もしかしたら山岸女史に弱みでも握られているのかもしれない。
川瀬はちっと舌打ちを入れた。
(………邪魔臭いヤツ)
こうやって川瀬が何かを掴みかけるとくちばしを突っ込んでくるのだ。愉快な気持ちになってるときにも余計なアドバイスとかをかまして雰囲気をぶち壊すヤツ。しかも、川瀬だけが航平をチビとからかって落ち込ませてもイイのに、こいつは初っ端航平をへこませたのだ。第一印象がまずかったのか、川瀬は相当紺屋を嫌いぬいていた。
そしてその理由には、さらにもう一つ、もっとも巨大なモノが残っている。
「この場合は川瀬君、ロミオはもう息絶えているわけなんだからもっとだらりと力を抜いて………ただ、何もかも鈴木君に任せたらだめだよ。死んでいるという演技をするんだ。なにより、観衆がよく見える位置を確保するための体勢は、君の腹筋で保たれてるんだよ。だから、こういう角度で………あ、鈴木君ちょっと来て」
紺屋は仰向けに床に寝転がって航平に手招きをした。そして、先ほどとロミオだけ入れ替わった形で全く同じポジションをとる。つまり、ジュリエット航平がロミオ紺屋の上体をすこし抱えこんでその顔を覗きこんでいるという状態。
そして―――
(………くそっ)
いつもいつも、痛感させられるのだ。どれほど航平が紺屋を信頼しているのかを。
すんなりと演技に入る二人。紺屋としては、川瀬に演技指導をつけているつもりなのかもしれないが、川瀬から言わせれば、見せ付けられているとしか思えない。身を任せたように紺屋の思うがままにジュリエットになりきる航平を。川瀬とやっているときのように緊張して硬くなっていない航平を。ただじぃっと紺屋を見つめるうっとりとした眼差しの航平を!
(こいつ、激しくムカつく〜)
その時点においては、まさかその航平の眼差しが、ただ単に「紺屋先輩って演技うまいんだな!俺めちゃめちゃ見蕩れてた〜」なんていうしょうもない理由でしかないだなんて知りもしない川瀬である。さらに、航平が川瀬に「だけ」緊張してしまうのであって、紺屋に抱っこされようが寸止めのキスをされようがその心臓をびくともさせていない本当の理由なんて思いもついていなかった。所詮、川瀬も脳みそが他人より少し発達しただけのたかが高校一年生である。百戦錬磨の恋愛経験なんて持っていなかった。寸止めのキスなんて、それも日に幾度もやっていれば、そのたびに理性は磨耗していくのである。リミッターの限界ギリギリまできていた。
そんな中で、とある日、川瀬は2年の吉住仁史に絡まれた。明白な態度で、「お前ぶっ殺す!」と言われては、男として応戦せざるを得ないだろう。というよりも、蓄積した鬱憤を前に、いいカモがネギ背負って来たって感じである。ぶっ殺したい理由が、川瀬が航平にちょっかいを出しているっていう濡れ衣なのが釈然としないが、その分ムカつき度アップで強烈な一発を腹に決めてやった。「おととい来やがれ」だ。
(俺は航平に何にもしてない)
正確に言うと、何も出来ていない,という感じだ。
寸止めで禁じられている。
ほんのちょっとだけ、あと数センチだけ唇を落としたら触れられる位置にいながら、それを禁じられている。
身を硬くして、じっと堪えている航平をその腕の中に抱えているのに、である。
(そーぞーしただけで、やばいなぁ………)
川瀬ははぁ、とため息を漏らした。
あと二日この苦行に耐えたら、三日後は本番である。文化祭まで乗り切れば、川瀬もこの「待て」状態から解放されるのだ。そうすれば、航平の真っ赤な顔も、泣きそうな瞳も、舐めたくなる唇も、ぷにぷにした頬も、全てロミオフィルターが除去された平常モードで捉えられるのだ。以前と同じく、三国志好きのガキ航平と認識できるようになるはずなのだ。あと三日、この暴走しそうになる本能をひたすら押さえこめれば………
(………って、なのになんでコイツはこんなに油断大敵なんだろーねぇ!)
責任転嫁して、そしてそれを免罪符にして川瀬は航平の右腕を捕らえた。 「っっ……何すっ!!」
抵抗するのを全て軽く躱す。ちっこい航平は簡単に川瀬に組み敷かれた。
(のこのこ近づいてくるお前が悪い)
だまくらかすわけではなかったが、川瀬は今にも崩れそうな部室のソファーで寝ていたわけではなかった。青春の悩みを黙考していたのである。それを勘違いした航平がそもそも悪い。
「も、限界」
「待て」にも限度がある。禁じられているとはいえ、それは本番でのことだ。それ以外でやったとしても誰に責められるというのだ? こんだけ焦らされるほうの身にもなって欲しい。
「何言って………!」
航平は身を捩らせて逃げようとする。さらに両腕を航平の頭上で戒めて、完全に抵抗を封じる。
「あのな、俺だって男だぞ」
「俺だって男だ! テメー何しやがる」
真っ赤になった航平はいつもより三割増でカワイイ。なんか、いじめたくなるタイプだ。
「いつもやってることじゃん」
もちろんそれだけで済ます気など毛頭ないのに、川瀬は寸止めキスで航平を油断させる。上目遣いで確かめると、思惑通り、航平は練習の一環かと安堵している様子だ。頬の赤みは変わらぬままに、ほっと息をついていた。そこですかさず告げる。
「な、いつもやってることだろ」
(………なーんてなー)
密かに心中ほくそ笑む川瀬である。
「ここまではな………でもな――ギリギリまでって制約、男がいつまで我慢できるかしってるか?」
プルプルと首を左右に振る航平。
猛烈に欲求させる仕草………に、川瀬は見嵌った。
(まいった………)
本能なんて軽いもんじゃない。
手に入れたい。
こいつを自分のモノにしたい。
紛れもなく独占欲だ。
………ようやくにして、ここ数日の鬱屈が解けた気がした。ロミオをやっている内に、ロミオよろしくジュリエットにヤられてしまったのだ。ロミオのやり過ぎで頭がイカれたんだと思いこみたかったが、そうじゃない。
(確実に、俺は、コイツが欲しい)
悟った川瀬の行動は素早かった。
「今、この瞬間までだ」
告げるが早いか、川瀬は航平に口付けた。禁忌のレッテルが剥がれたそこから、甘美な感触が返された。もっと深く感じたくて、川瀬は強引に口を割って舌を進入させた。現実に即応できていない航平の舌を、思うがままに翻弄する。絡ませて、ついでに一番敏感な舌先をつついてみて。唾液も存分に味わう。上あごを舐め上げたときに、一瞬だけ、航平の吐息が漏れた。
キスが終わったら、この気持ちを航平に告げてみよう。
驚くかもしれない。嫌がるかもしれない。
航平のことだから、真っ赤になって俯くだけのような気もするんだけど。
けれど、キスが終わって、興奮している航平を宥めて告白タイムに持っていこうとした川瀬にぶつけられたのは、航平の涙声混じりの捨て台詞で。 「お前なんか大っっっ嫌いだ!!!」
告白以前に嫌われてしまった川瀬である。そのまま航平には走り去られてしまった。
「参ったな………」
冷静になると、やはり暴走していたと思えるやりようだった。少なくとも航平相手に、気持ちも通じてないのに体からいくのはマズかったのかもしれない。
(………いや)
航平相手だからこそ、あのチビだからこそ、体に教えてやんないといつまでも理解できそうじゃなくないだろうか?
前途多難………しかし、やったもん勝ちは川瀬の信条だ。
「覚悟してもらおうか」
それはある意味、川瀬の決意ですらあった。
そして三日後の本番の日。
そのわずか20分前に、川瀬はジュリエットを手中に収めていた。
これは悲劇ではなく、ここから始まる、ハッピーエンドで結ばれるロミオとジュリエットの物語だ。
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