根性だけで、痛む腰を必死に堪えて制服に着替え、同敷地内の寮から校舎に辿り着いた時には、すでに時刻は昼過ぎだった。タイミング良く、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
そこへ。
「………先輩っ!!」
いつものごとく、心配性が服着てお小言ばっかりいってるような男―――こと、加藤が走り寄ってくる。コイツは俺が部長を務める、高等部生徒会こと黒旺会の企画部の部長補佐。1年下の後輩で、いつでもどこでも俺の後ろにへばりついて来ては、「これこれの企画のかくかくの箇所にしかじかの不確定要素があるので、このまま企画を押し切るのは不安が残る」だの、「会計部との予算折衝の折り合い案について」だの「監査部の横槍うんぬん」だの、耳の筋肉が自在に操れるんなら、塞いでシャットアウトしたくなるような口酸っぱいことばっかり言ってくる―――基本的にウザイ後輩。今も、難航している「購買部のオバちゃんこと坂崎さんの勤続20周年を祝い、更なる勤続を願い激励する会」に関しての会計関係資料の付録としてまとめた物を俺に確認させるつもりなのかもしれない。なんか、この間からずっとそのことばっかり言って来てるし。
「……おー、加藤」
続けて何やら言おうとした加藤を、俺は先制攻撃で制した。
はっきり言おう。今の俺には、購買の坂崎オバちゃんの勤続20周年パーティの瑣末検討事項なんて、もはやミクロン単位の問題に過ぎないのだ。飲料関係の予算が1万しか出ないからどうする!?なんて考えている場合じゃないのだ。
「……っとに、それどころじゃねぇんだよ」
俺は口の中だけで舌打ちをいれると、棒立ちになった加藤を上から下まで眺め回した。随分とズケズケとした眼差しが、俺のたぎる復讐心が反映している。
………よし。
まぁ、コイツなら、確かに秘密は守れるかもしれない。なんと言っても、俺の補佐―――つまり言を代えるならコイツは俺の腹心であるわけだ。なんとも恐ろしいことであるが、中高一貫の男子校であるこの晟南学院には、その手の人間が多い。俺の友人連の中にも、俺に対して口はばかることなく「抱きてぇ〜」なんて言ってくる危険人物がいる。そんなヤツに「俺、ヤられました」なんてカミングアウトするのは、ある意味カモネギだよな。都合よく勘違いする男だから、「食ってくれ」と脳内変換される確率が異様に高いのだ。
………そうだな。コイツなら、俺の部長権限至上マインドコントロールが利いてる筈だし、柔道部に入ってるからガタイも悪くない。味方につけておくに如くはないだろう。
俺は、よく聞けよと言わんばかりに、加藤の襟元を引っ掴んで引き寄せた。声がほんの少しだけ、小さくなる。
「…俺―――昨日の夜、何者かに犯された」
あああああああああああああ、くそう、口にするとムカつきが再燃してくる。
掴んだ襟元を勢いよく撥ね退けると、俺は、せいぜい胸を反らせて構えてみせた。腹心であり、例えるならワトソンとなって犯人探しの右腕になってもらう予定の加藤に弱みなんか見せたくない。……い、いや、弱みなんか元からないんだけど!! 俺は単に野良犬に1回こっきり噛まれただけで、まぁその傷口がじくじく痛むもんだから、完治する前に1回はその怒りをぶつけたいとそれだけなんだよ。はは。
対して、口から先に生まれてきたさすがの加藤も、驚きに目を見開くばかりだった。
口が、「あの」だの「…その」だの、何らか言葉を捻出しようと試みて、うまくいってない様子。
そりゃ、ま……当事者である俺が一番信じたくないんだから、こいつの反応もよくわかる。―――よくわかるからこそ、おまえも俺に協力しろ。俺だって、ホント信じらんねぇんだ。
加藤はどうにかといった体で言葉を吐き出した。
「先輩……それ、主語と述語と修飾語が間違ってないんですか?」
口元を押さえた加藤。
いや、よく……ほんとよ〜くわかるよ、加藤。
俺もそう思いたい!
―――んが、事実は小説より奇なのだ。悲しいことに、今現在もひりひりと痛む、俺のケツの穴がそれを証明する第一級証拠品なんだよ。
「全くの脚色なしの事実だ。証拠を見たくなかったら、そこんところは無理やり納得しとけ」
人差し指をつき付けて、事実の消化を促す。
それでもまだ、うんぬんかんぬんぐたぐた言い始めそうな気配を発した加藤に、俺は次のステップを切り出した。
「いいからよく聞けよ。アレからイロイロ考えてだな、犯人の目星はないこともないんだ」
「………は?」
間抜けな反応を示す加藤に、俺は火サスの探偵さながらに―――無知蒙昧なる助手に、容疑者各位の特徴を含めた犯行動機を、身振りも加えて語り始めた。
「容疑者は3人。俺のシックスセンスが正しければ、この3人以外に犯人は有りえない――」
びしっと右手の人差し指・中指・薬指をつき立てる。
そう。
犯行状況・容疑者の常日頃の言動。それら全てを含んだ上で、俺が目星を付けた容疑者は3人。
まず1人目は、コイツが1番黒いと思われる男。先述の理由で友人連に相談をさせられなくした元凶、相川大(あいかわ
まさる)。俺を狙っていると、はた迷惑にも明言している男だ。こういうヤツに限って腐れ縁が活き活きと効力を発揮して、2年続けてクラスメートになっている。ゆえに、その間幾度か危機的状況に陥ったこともある。今回、それがとうとう最後までいたったのではないかと、ものものすごく黒に近い嫌疑を俺によってかけられている。いや、人間、ホント常日頃の言動がその人に対する固定観念を生み出してるんだよな。反面教師にしたくなるヤツだ。
2人目は、ある意味、1番犯行をしやすい状況にあった男。つまり俺のルームメイトの波多野健児(はたの
けんじ)。恐ろしいことに、コイツは真性のホモだ! 毎夜毎夜、どこかの男の元にシけこんでる。だから昨日の夜も、どっかに行ってた可能性は高い。だが、あの部屋で俺をヤってたっていう可能性だって、全く全然否定できないんじゃねぇか!?
てか、波多野が俺に言い寄ってきたことなんか一度もないけど、「魔が差す」って言葉がこの世の中にはあるんだぞ!
昨日の夜、波多野の魔が差さなかったかどうかなんか、本人しか知る由はないじゃねーか。てなわけで、波多野も容疑者入り決定。ま、あくまでオマエは容疑者だ。
最後の男は、いわゆるダークホース。1コ下の1年で、高等部生徒会・黒旺会現副会長、菅原久樹(すがわら
ひさき)。以前、冗談なのか賭けなのか、寮食堂でキスをされたという俺にとってはにっくき因縁を持つ男。あれ以来、生徒会議会の時も、なるべく近寄らないように細心の注意を払ってきていたんだけど………どう、なんだろう。なにぶん切れる男なゆえに、その言動に予測がつかないのだ。
以上3人の中に、俺の体をイイようにしやがった犯人がいるのは間違いない!
ぐふぐふこみ上げてくるのは、こう………なんだ、皆目見当もつかなかった状況から、逃げゆく犯人の服の裾に手がかかったっていう手応えを感じたからなんだろうか。
まぁ、イイ。犯人よ、今のうちだけ、つかの間の美酒でも味わっていればイイさ。だがなぁ……、だがだ。追い詰めて正体を晒した上には、俺の正義の鉄拳をぼこぼこに食らわしてやるのだ!!!!!!
俺は心の中で、密かに握り拳をぎゅぅっと作った。痛む体を堪えて登校してきたのは、全ては犯人を捕まえてふん縛ってとことんまで反省させてやるためなのだ。
犯人め、待ってろよ!!!!!!
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「………てなワケでだなぁ―――って、オイコラ加藤っ!! オマエのその両耳は、きちんと俺の事件前後の懇切丁寧で詳細な供述を聞いてんのか!?」
心底呆れたようにそっぽを向いたままの加藤に、俺はガッチリと詰め寄った。「酒に酔って正体不明でごにょごにょと……」の部分に、コイツが呆れかえっているのは、気配でびんびんに伝わってきていた。
うう………た、確かに情けないんだけどよ。酒に弱いのは、父親譲りの遺伝で、俺としても仕方なかったんだ。
ていうか、それにつけ込んだ犯人のが絶対悪いし!
めらめらと怒りの情動が湧き上がる。
「加藤、オマエ、よもや俺に手を貸さないなんて言わないよな!?」
詰め寄るように、加藤に告げる。
加藤はいかにもウンザリと言わんばかりで、眉間に縦じわを深く刻みながら首を左右に振った。厄介事がさらに増えたってカンジがありありの仕草。
けれどその口から、意外なぐらい真摯な声が溢れたのは次の瞬間だった。
「わかりました。俺にできることなら、全面的に手を貸します。……だから先輩、今後、酒は慎むようにしてくださいよ」
その語尾には、押さえても押さえきれないほどのため息の波動がたゆたっていたのだった。
(03 02.17)
|