「―――さっき波多野先輩と廊下ですれ違ったんで、とりあえず話をしたい旨を伝えておきました」
放課後を告げるチャイムが鳴った途端、勢いよく立ち上がった俺の反動のように、がらっと扉を開いて加藤が現れた。さすがは……というか、やるとなったらホント手抜きのしない男なのだ。
「ほぉーぅ、まずは波多野か……」
顎に手を当ててつぶやいてみる。うんうん、まずは妥当な線からってカンジだよな。消去法とか、結構有効だしさ。
「で、容疑者と書いて波多野はどこにいるんだ?」
なぜだか嬉々とした声。ケツの痛みが引いてきた分、いやはや純粋に復讐心だけが俺を駆りたてているのだ!
「屋上で待ち合わせてます」
「ほぉほぉ、そうか。抜かりないな!」
コンパスの違いなのか、いつものごとくちょっとだけ早足で加藤の一歩先を歩く。振り返ると、加藤はその定位置をちゃんとキープしてて―――俺は裏拳で加藤の肩をよくやったと言わんばかりに軽く叩いた。
屋上なら、例え感情の高ぶりのままに殴り倒してぼこぼこにしたところで、目撃者の心配をせずにすむ。なかなかに策士じゃないか、加藤よ。
ぐふぐふこもった笑いを漏らした俺に、見なくてもわかるぐらいに大袈裟に肩を落とした―――ふか〜いため息を加藤はついた。
「先輩、ダメですよ」
「な、何がだよ!?」
「今、ぼこぼこにしてやるとか考えてたでしょ?」
「……なななっ」
相変わらず鋭いやつだ。鋭過ぎる。思わず舌を噛んじゃうぐらい動揺したじゃねーか。
俺は顔だけ振り返ると、加藤に向かってしかめ面を見せてやった。
さすがはクソ真面目と定評を取るだけある。んが、が! よ〜く考えてみろ、加藤、先に手を出したのはあっちのほうなんだよ!
そうつまり、
「目には目を、歯に歯を! 紀元前1800年、ハンムラビ法典の同害復讐法は現代でも活き活きと俺に活力を与えているわけだ!!
まさに歴史はスペクタクル! 身から出た錆! 天につば吐けば、それはまさしく己に振りかかるのだ!!!!」
ぜえはあと、期するところをまんべんなくのたまう。
どうだ、この論理のどこら辺に破綻があると言うのだ? 俺は、とにもかくにも、俺のケツの穴の負った塞ぎようのないぽっかりとあいた穴の――――そう、抽象表現なんかかなぐり捨ててこのケツの穴の痛みとそれに乗算したブロークンハートの分は、きっちりはっきり拳で払わせてもらうのだ!
唸れ拳! 轟け正義の鉄拳!
「落とし前付けてやんだよ」
かーっかっかっか!と、高笑いまで続けてみせる。観念しろよ、盗っ人猛々しいのも風前の灯!
目に物見せてくれるわ!
俺は胸を張って勝利のポーズを決め込んだ。
「だからそういうところが………」
はぁ、とこれ見よがしに加藤は息を吐き出した。
「考えなしと言うか、勢いだけと言うか………危なっかしい。相手は、もしかしたら先輩を襲ったかもしれないヤツなんですよ。もうちょっと用心とかしてくださいよ」
「はぁ!? だって、オマエ柔道部。黒帯でその道13年のツワモノだろ? だいじょーぶだいじょーぶ、波多野も相川も武道とかやってないし」
「……いや、そうじゃなくてですね」
加藤はさらにうんざりと肩を落とした。――が、一つ首を振ると、気持ちを切り替えたかのように眉根を引き締めて、言った。
「――――まぁ、イイです。とにかく俺に任せておいてください」
身長差の分だけ、斜め上から降ってきた言葉。
任せる気なんかこれっぽっちもなかったのに、俺は思わず愛想笑いなんか浮かべて、「お、おうよ…」なんて呟いていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
そう。
そして現在。
任せる気なんかちっともこれっっっぽっちもないってのに――――事態は俺の存在を時の彼方に押し流して、加藤と波多野との間を流暢に進んでいたりする。
あううううううううううううううううう。
コラちょっと待てや、俺にも話させろと思ってみても………てか、さっきから「はーなーせっ!!」と叫んでいるつもりなんだけど、加藤のデカイ手の平に塞がれた口からは、押し殺された「もーがーがー」という唸り声しかはみ出ない。いや、それすらもほとんど塞き止められている状態。それは屋上の扉を開けて波多野が視界に入った瞬間、「このくされ波多野がてめぇっ…」まで叫んだ俺の口を、加藤が咄嗟に塞いで以来ずっと続いていたりする。
「むふーっ!!!!!!!!!」
くそーという罵倒すら、そんな風に強制変換させられてるし! マジくそーっ、だ!!
しかし当の加藤は、黙ってろと言わんばかりに口を押さえてないもう片方の手で、俺をさらに羽交い締めしやがった。そんでもって、俺に当て付けしてるのありありの深いため息なんかついて、波多野に向き直る。
「……すみません、もう一度確認させてください。波多野先輩は昨日の夜、あの部屋にはいなかったんですね?」
確認を取る声は冷静この上ない。
………って!!!!!
ああああああああああもう! 神様、コイツはバカですか?
俺は、「は? 昨日は俺、部屋にいなかっただろ」なんていう波多野の言い分をバカ正直に真に受けてる加藤に、眩暈がクラクラしてしまった。まったく、オマエはバカボンのパパが太陽は西から昇ると説明したら、それを信じるのかよオイ!!
―――つーか、基本的に考えて、犯人がおとなしく「ハイ、私がしました」って名乗ってくれたら警察はいらないだろうが。
ああああああ、アホだ、コイツは真性のアホだ! 俺は協力を求める相手を見誤ったのだ。
波多野は波多野で、ニヤニヤムカツク顔をこちらに向けてくる。……加藤に捕まってなかったら、襟元引っ掴んで締め上げて吐かせてやるところだ、くそっ。
「んで? 昨日の夜とやらに関して、俺に何を聞きたいワケ?」
あまつさえ、したり顔でそんなコトを言い始めた波多野に、俺はギリギリと歯軋りをした。
聞きたいのはこっちだっての。
オマエが俺を……この俺をヤったのか!? そうなのか? そのしらばっくれぶりはやたらと怪しいぞ、波多野!!
俺がグルル〜っと加藤の指の間から唸り声を発しているというのに、加藤はそんなことなんか気にも留めないで波多野の質問に素直に答えやがる。
「昨夜、先輩方の部屋で、何者かが先輩を手篭めにしたらしいんです、ね、先輩?」
そんな時だけ俺に対して賛同を求めてくる。後背からタッパに任せて俺を覗き込んで来た加藤を、俺はギロリと睨み返した。
何者か、じゃねぇ!! 容疑者はわかってんだ、コイツかアイツかソイツ―――その内の誰か一人で、つまりコイツは三分の一の確率で犯人かもしれないんだぞ!
くそ、もうちょっと真剣に問い詰めてやんなきゃいけないのに――――――
とその時、波多野の素っ頓狂な声が鼓膜に突き刺さった。
「ええっ!!! ちょ……加藤、それどういうことだ!?」
アワ食ったらこんな顔になるのかもって、そういう表情。しらばっくれてるとか、そういうのは微塵たりとも感じられない。
え!?
俺のが、逆に驚いてしまう。
いや、確かに波多野は容疑者に過ぎないわけなんだけど……だけど、そういう普通の反応されてしまうと――――こ、困るじゃんかよーっ!!
顔に一気に熱が集まる。加藤に羽交い締めにされてなかったら、顔覆ってしまいたいぐらいで。
「どうもこうも、そのまんまですよ。昨夜、先輩は何者かにヤられちゃった、と。先輩が酒とショックのダブルパンチで何にも覚えていないらしいから、俺が犯人特定の任を命じられたワケです」
こんな時でも一人冷静平静な加藤。俺は真っ赤なタコになってるし、波多野は驚きに口をぱかーっと開けて放心状態だし、うぁああああああ、なんかすげーいたたまれない。
今更だけど、「俺をヤったのはオマエか!?」って問い詰めるのは、「俺はヤられました」ってカミングアウトしているってことで………クラスの奴等に言う気がないから加藤を味方に引き入れたけど―――つまり、つまるところ、俺にとって一番害になる奴等に俺自身で打ち明けてどうするよ!?ってカンジ。
ああいや、ちがう。ちがうぞ。そういう理屈付けばっかりじゃなくて、それより前に、なんかすげー照れくさいし。こんな時に限って、頭ん中に「処女喪失」なんて愚にもつかない四つの漢字がパンパカパーンと浮かんで来たりする。あああああ、なんかすげーダメ。すっかり痛みが引いたはずのケツの穴がずんずんって疼き出してる。
波多野は驚愕に口を覆っていた―――それでもどうにか落ち着きを取り戻したのか、俺を窺うように見つめる。その眼差しから逃げるように、俺は視線を下に落とした。波多野の眼差しが「へぇ、オマエとうとうイタしたわけねぇ……」と言ってきてるようで、ますます顔が赤くなる。
ふっ、と波多野が息を吐き出す気配に―――そこに幾ばくかの笑いの波動を感じとって、ビクって震えがきた。うわ、絶対なんか変なコト言われる………そう思った俺の頭頂部に、ふわってあったかいのが触れて。
「まぁ、波多野先輩はめでたく嫌疑が晴れたんで、そこら辺の事情なんかどうでもイイですよね。お騒がせしてすみませんでした」
言葉と一緒に頭頂部にかすかな振動がくるから、そのあったかいのが加藤の顎だってわかった。わかったって思った途端、そのあったかいのは離れていって……その次の瞬間には、強く腕を引かれてた。
「あ、えっ…!!」
覆いのなくなった口から、とまどいが溢れる。けれど加藤は、「それじゃ」と簡単に済ませると、屋上の非常扉にずんずんと歩いていった。加藤に腕を掴まれてる俺も、当然のことながら引きずられて行く。その耳に、「オマエも大変だなぁ……」なんていう波多野の呟きが聞こえてきて―――てめーに言われたくないよって俺が答えるよりも前に、「いえ、俺の義務だと思ってるんで」って加藤に答えられて。
義務ってなんだよ義務って!!
副部長として、企画部部長の俺の尻拭いは大変だけど仕方ないって、そう言いたいわけかよ!
―――ってか、何より、「大変」なのは俺だろーーーッ!!!!!!
そういうのが、遠吠えのように脳内をこだました。……なんだかどっと、疲れだけが溜まった気がした俺であった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「オイコラっ、ちょっと待て加藤!!」
屋上からみて最初の階段踊り場まで引きずられるままにいた俺は、そこでようやく反撃に出た。
「てめぇ、めちゃくちゃ当事者の俺をかやの外に置きやがって!! ……ったく、しかも、波多野のあんなアホみたいな言い草鵜呑みしやがって。なにが『部屋にいなかったんですね』だ。オマエはアホか!
アホだろ! 一体どこの犯人が、しおらしくも『はい、私は現場にいました』なんて証言するんだよ!!
普通、そこら辺はお互い了承の上で、腹の探り合いだの証拠だのアリバイ崩しだの始まるわけで……」
「……先輩」
「それだってのに、『俺は部屋にいなかった』で『あ、じゃあ犯行はムリですね』って……俺はオマエをそんなアホに育てた覚えはないぞ!!」
「いや、先輩に育てられた覚えは――」
口を挟もうとする加藤に、そんな猶予なんて与えてやらない。機関銃さながらに非難を連射で撃ち放つ。
「そもそもオマエが俺の発言権を封じなかったら、今ごろこの俺が直々に波多野を問い詰めてやったってのに。あー、ちくしょう、今からでも遅くない。断じて遅くない。も1回波多野んところに行くぞ。今度は俺がやるから、おまえは口だすなよ!」
ついさっき覚えた照れくささの裏返しのように、拳を付きたてて宣言する。攻撃は最大の防御なりき!!
やる時はやるのだ、俺だって!
「いや、だから先輩……」
一人で熱くなってきた俺に相反するように、加藤の冷静な声が鼓膜を震わす。俺は苦りきった顔で加藤に向き直った。まったく、コイツのこういうところがホント基本的にウザイんだよな。
「いいから、オマエはおとなしく俺について来いっての!」
拳から一本、人差し指を突き出して言い付けると、構わず俺は階段を昇り始めた。
んが………ウザイのにも徹底的な加藤の手が伸びて、俺の進行を妨害する。
「だからちょっと待って、先輩。俺の話も聞いてくださいよ」
「やだね。聞く耳持たねぇ、黙って俺について来い」
「ついては行きますけど、行っても意味ないんですよ、この場合」
背後から回された腕を振り払おうとしていた俺は、その言葉にひたと止まった。「なんで?」って、疑惑に満ち満ちた視線を加藤に送る。加藤は困ったような、でもそこにほんの少しだけ含み笑いを加えたみたいな……すごくあやふやな表情で、俺を見上げてて。
「先輩、俺が放課後までのんべんたらりと過ごしてたと思ってる? だとしたら、俺も結構舐められてるなぁ、と」
くしゃりとそのあやふやな表情を崩す加藤。一度視線を伏せると、その次の瞬間にはまたあやふやな顔して俺を見つめてきた。眉尻がちょっと引き伸びてるのだけが、違いと言えば違いなのかも。
「波多野さんの証言のウラなんか、とっくに取ってたりしてるんですよ、俺」
くすって、軽く含み笑いをもらして言う。
「―――ええとですね、波多野さんは昨日、2年の岡田雅晴の部屋で彼と熱い夜を過ごしたそうです。岡田からもアリバイのウラ取れてます。めちゃくちゃ良くて、朝方まで頑張ってたとか」
何をかは、言わなくてもわかりますよね? なんて、言わなくてもいい事を言うなよバカ。
俺は加藤の腕を掴んだまま、魔法でもかけられたみたいに固まってしまっていた。その指を、一つずつ加藤が剥がしていく。最後の一本を取り外しながら、加藤が付け足しのように呟いた。
「つまり波多野先輩には犯行はムリだっていう事です」
だから、先輩が戻る必要はないんですよ。
あやふやな表情は、何時の間にかにこにこと笑顔になっていた。
もうちょっと冷静だったら、いくら俺だって、「じゃ、もとから波多野と話す必要すらないんじゃないのか」ってことぐらい気付いただろうし、指摘してたはず。でもそんな加藤の矛盾に疑問を覚えたのは、もっとずっと後の事。
「よし。じゃ、残るは二人ですね。とりあえず菅原は居場所がはっきり――生徒会室にいるだろうから、そっちを先にしてみますか」
なんて爽やかに独断専行しやがる加藤に、その時の俺はがくがくと頷き返すので精一杯だった。
(03 02.24)
|