「あ〜、なんだ〜??」
いきなり背中の方から、平良(たいら)のでっかい声。
―――で、そのまんまの勢いで後ろに引っ張られた。
「…ってーなっ!! ナニしやがんだ、クソ」
学ランの襟元が思いきり首筋に食い込む。
何なんだ、オイ、人を絞め殺す気かっての、このボケ!!
俺は即座に、肘を容赦なく鋭角的に入れた。かなり的確に肋骨縁沿いのウィークポイントに命中したらしく、平良は「ぐぇえええ…」となんとも情けないうめき声を上げた。肩越しに見やると、くの字に体を折り曲げて痛みに耐えている。
バーカ、お前が先に手ぇ出したんだろうが。俺のは正当防衛だっての!!
どうやらバカ相手には、俺の罪悪感はミジンコ程にもワいてこないらしい。自然に顔がユルむ。ってか、むしろ天誅だし。
けれど、へらへら勝利の笑みを浮かべていた俺も、さすがに平良の次の手までは予想していなかった。「ええ?」って戸惑った分、反応が遅れた。気がついた時には、繰り出した肘を取られてがっちり押さえ付けられてしまっていた。制服を引っ張る力も衰えていないもんだから、完全に右半身の自由を奪われた形になる。
くそっ、めげずに反撃を仕掛けるとは、コイツも相当慣れてやがる。
しかも二度目は懲り懲りってばかりに、右腕に加わる力は相当なもんだ。
「杉ピー、ひっでぇ〜〜」
平良は、「俺じゃなきゃ即死ぃー、良くて致命傷ぉー」だとか、背後からナめた口叩きながらさらにぐいぐいと押さえ込んでくる。
「………ッ」
ひでーのはそっちだろうがーっ!
「放せっての!!」
乱暴に吐き捨てて、その勢いに任せて、ぎちぎちに絡め取られた右手を強引に振り解こうとした。ついでに左手で反撃に持っていきたいところなんだけど、こうも体を固められてると腕を後ろに降り回すことすら出来ねー。
「まあまあ」
牛か馬をなだめように、その後に「どうどう」と続ける平良。
それだけなら、いつものように悪口雑言の数々とともに力づくでコイツを振り払って、その後にシめ上げるっていうお決まりのパターンでおしまいのはず……ってか、それがパターンと言えるぐらい日常茶飯事なのもちょっとアホらしいけど。でもまぁコイツの馴れ馴れしさは今に始まった話じゃないワケで。
――――けれど。
今日という今日は、平良の馴れ馴れしさは思いっっきり方向性を違えていた。
「……ぅえ?」
あんまり驚き過ぎて、脳細胞が勝手にフェードアウトしてる。よく頭が回ってない。口からは、日本語になっていないとぼけた声しか出てこない。
唯一自由になる左腕もだらーんと垂れ下がって。
………な?
うなじには、ぬめっと変な感触が残ってる。
少しだけ吹いてる風に、そこだけがひんやりしてて。
なんだ?
ななななななんなんだ!?
触覚と神経伝達網と知覚が激しくストライキを起こしてる。仕事してない。コンマ8秒ぐらいが亜空間に消えてる。
俺は今、一体全体ナニをされたんだ!?
これは新開発の攻撃殺法なのか??
それともボブ・サップ級の破壊力満点ウルトラC技?
で、でも身体じゃなく神経の方に相当ダメージ食らってるって!
なんだかわかるような、でも絶対そこら辺に地雷がばら撒かれてて、危なすぎて結論なんて付けらんないような。……ううううう、いっぺんに頭ん中パンク寸前だよ。
もし手が自由なら、頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜてるところだった。でも、俺がめいっぱいメダパニ起こしてるってのに、問題のど真ん中、肝心カナメの平良は平良で、普段に増して気の抜けた台詞を吐きやがる。
「杉ピー、日向ぼっこした? ね、した?」」
あああああああ、日向ぼっこってなんだよ、日向ぼっこってさ!
いや、俺だって日向ぼっこの何たるかを今更問い詰めるつもりはねぇよ。そうじゃなく、お日様ぽかぽかあったけーなぁって、そんな場合じゃねーだろうと怒鳴りたいだけ。
……ってかな、平良よよーく思い出せ。俺とお前はつい今しがたまで、春休みの真っ只中だってのに、世間は嬉し楽しで遊んでるってのに、汗だく泥まみれで白黒のボールを追っかけてただろーが!!
「フットワークが重い、たるんでる。ハイ、連帯責任」って、監督から恐怖のグラウンド大回り10分以内に3周できなきゃエンドレスの刑をてめーのせいで受けたんだぞ俺は!
しかもてめーがのろのろ走ってるせいで2セットも!! それを忘れたと言うのか!? ああ、お前の記憶容量は十数分でリミットなのか、平良ッ!!
「てめー……」
怒りのポイントは不明瞭極まるものの、ともかくもこの胸に滾る怒りの鉄拳を振りかざすべく、俺は上半身をひねった。
「………ッてェ」
けれど押さえ込まれた上半身は、ぴくともしない。そこに自ら強引にひねりを加わえたせいで、もう、マジ痛い。こもった声が漏れる。ああ、も、俺、身も心もボロボロ。
悔しいから表情だけは怒り炸裂モードでいた俺に、平良は更なる攻撃を仕掛けてきた。
今度は唇をすれすれまで耳に寄せてくる。
見えないのに、その気配が、その1ミリ1ミリが、やたらと俺の心臓に悪影響を及ぼした。吐息じゃないけど、なにかひっ詰めたような呼気が漏れる。
「………ぅう」
何でかわかんないけど、心臓がバクバク痛くなった。左手で押さえてみても、全然止まんない。それどころか、鼓動が手の平にも伝わるぐらいで。
ああ、もう、ワケわかんねー。
クソっ。
コイツ、泣きっ面にたかるハチだハチっ! 顔は見えないけど、見えてたらぶん殴ってやるところだ。子泣きジジイみてーに俺の背中に貼りつきやがって!振り払ってギタギタにしてこの黄金の右足で足蹴にしてやるところだ―――ってのに。
俺の怒りを空回りさせるように、平良が小さくささやいた。
「イイ匂いがする」
俺の首筋に顔をうずめるみたいにして。
「太陽の匂いって、匂いなのにあったかいのな」
くんくん鼻を寄せて、尻尾振り回してる犬みたいな弾んだ声音で。
イイ匂い?
太陽の匂い?
匂いなのにあったかい??
――――頭イテぇ。いや、痛いのはお前の頭だ平良。
ったく、お前はいつからメルヘンの世界にダイブしたんだってのっっ!!
やっぱ春だからか? 春って変なのが続出するって言うし。コイツもそれに感化されちまったのか?
俺は一旦滾った怒りがしゅうしゅうと消えてなくなるのと、その代わりに打ち寄せる波のように徒労感が体内に広がるのとを同時に感じていた。
イイ匂いってなぁ………そのお前の言う”匂い”ってのは俺の理性がしっかりはっきり間違いなく汗の匂いだと告げてるんだよ! ウチなんか死ぬほど弱ぇんだから、部室にシャワーなんか付いてねーっての。家帰ってまず風呂だろ風呂! 風呂入って服着替えるまでは、俺の身体は上から下まで汗にまみれてるって!!
自分で断言するのもなんだけどな、俺は今くせぇんだよ。もちろんお前もだけど!!
でも、春のメルヘン頭には汗くせぇのすら脳内変換されてしまうのかもしれない。
まぁ、やっぱ”春”だしな。
そう結論付けた俺に、見事にシンクロする平良。ちょうどうまい具合に校門横の桜の間近を歩いていたもんだから、それを口開けて眺めている平良はかなりの間抜け面だろう。ちゃんと見えてたら、思いっきりバカにしてやるところだけど。
「ああ、春なんだあぁ……」
例年よりも早めに迎えた満開の桜の花びらを見つめながらため息なんか付く。それはけっこう真に迫ったため息で、どうやら平良は本気で桜に心を動かされているっぽい。
おいおい、ホントにコイツの頭にも”春”がやってきてるよ。
しかもそんなのが俺の背中に貼り付いて、その上耳元で即席ポエマーやっている。桜だの、咲いてるだの、ピンクだ青春だとすげぇウルサイ。
人一倍ため息を付いて、平良は俺をぎゅうぎゅうに締め上げてきた。見たヤツが勘違いでもして、抱き合ってるとかいうとんでもない解釈されたらどうすんだよ。
「ああ、春だ。春だよ、春なんだよ。何で俺にも春は来ないかな〜」
いいから俺の耳元でささやくな。
お前には春はきちんとやって来てるだろ? 俺が断言してやるからさ。
「杉ピー春だよ〜、どうする??」
だから俺を巻き込むなって。
満開の桜の木の下で、俺は密かにカウントを始めた。
あと5秒。
春一番の回し蹴りを決めてやる。
その”春”に呆けた脳みそを覚ましてやっから。
ありがたく、俺の乱れ桜キックを受け取りやがれ。
ラスト、1秒。
さぁ、覚悟しろよ。
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