アリーナ君と魔法使い・第1章


 ◆◇ 2 ◇◆
 
 ユーティエ湖水地方の魔法使い伝説。
 それはもう、このラ・ジュディファーノ王国はおろか、世界各地いたる所、あらゆる人種間で、酒場や広場、王宮の中でさえ語られる。いたずらをした子供への脅し文句にすらなっている。
 そんな、恐ろしさの象徴。極め付けの悪夢。
 姿形を取りかえられた仇同士の話はまだ前座に過ぎない。ジャーノンの川の水が一夜にして砂糖水に替えられたり、朝起きて霊峰クラガーン山を望んだ長老が泡を食って倒れた。彼の正面にあるべきはずの信仰の対象が消失していたのだ。他にも、気まぐれに王様を誘拐してみたり、戦争状態にある国々の武器庫の兵器をすべて変化―――剣の刃をゴムのように軟化させたのである。これでは、戦争を続けようもなく、両国は和解したというが、これはかの魔法使いの伝説の中では好評価を得ているエピソードである。
 そのほとんどが、規模を巨大にした悪戯なのである。
 だから、なおさら性質が悪い。数年の潜伏期間を置いて、必ずやってくる災禍。くだんの魔法使いの気分次第でそれは早くもなり、遅くもなるのである。彼の気分次第―――退屈の度合いによると言ってよい。
 さて、では現在の彼にご出演を頂こう。
 ここ数年、めっきり世界中を相手にした悪戯を控えている――――その理由もだんだんと明らかになってくるかもしれない。

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 うたた寝をしていたらしい男は、その艶やかな黒髪を軽く振って現実に意識を浮上させた。薄く開いた漆黒の瞳は、影落ちるほどの睫毛に半ば覆い隠されている。その漆黒によく映えるきめこまかな真白の肌。瑕ひとつなく、触ればしんなりと心地よさそうだ。
 神与の美貌。
 それは、当代きっての銘刀が、ダイヤモンドの彫刻刀で大理石を削り出し、造形する美よりもなお美しさで勝るであろう。人の手では為し得ない、内側から放たれる艶美がたゆたっている。
 だが、それをさらに鮮明にするのは彼の身を包む雰囲気によるであろう。
 決して過信にはつながらない、自信溢れるその仕草も一役を担っている。
 彼が、世に知られる極悪で、性悪で、ナルシストで、わがままで、悪戯大好きというはた迷惑な魔法使いご本人であった。
 名を、カリ・シェスティンという。
 不幸で不遇の、かのアリーナ君―――アリーナ・リオグラエ―ズ君のご主人様である。
 アリーナ君には家事炊事に雑用に助手など何でもさせるくせに、今現在もアリーナ君は夕食の準備のため館から三キロ弱離れた夕食用の水汲み場まで歩いていっているというのに、自分自身はのんびりとうたた寝をしているあたり、その性格の程が知れよう。
 寝椅子から状態を起こしたカリは、眉根を少し上げた。
「………九人目、ですねえ」
 館を中心に張った結界に侵入者が一人。 
 ごく近くにアリーナ君の存在を認められるが、その状態はさほど危機的状況を呈していない。心音も少し乱れている程度、呼吸も異常なし、出血等もなさそうだ。
「ふうん、まあ、あっちから出向いてくるでしょう」
 軽く目を閉じる。
 お茶でも飲みながら待つのも良いかしれない。庭の大きな楡の樹の下で出迎えようか。何の魔法を試そうか………
 期待に口端が釣り上がる。
 日常に時たま加えられるハプニング。それは、余興としてカリには捉えられていたのである。
 今回はどういう風にあしらおうか―――負けるとか、出し抜かれるとか遅れを取るとかそう言った単語は彼の辞書には存在しない。
 与えられた材料を彼好みに調理して味付けして盛り付けるだけだ。
 くくくっと、笑いが零れる。
 それは、性悪と称されるにふさわしい悪党な笑い方であった。

   ◇   ◆   ◇   ◆
 
 当代一の魔法使いと言われながらも、人々から極悪と忌避されるカリ・シェスティンにまつわる伝説。
 それは前述したものが有名で一般によく流布されているのだが、それとは別に、酒場は酒場でも、ぐっと奥まったその種の職業の者が出入りする酒場や情報屋の間、もしくは各地を旅する冒険者や魔賊討伐を糧とする剣士・魔法使い、王宮に参上する勇者候補の耳にそれとなく入れられる情報がある。
 くだんの世界一性悪な魔法使いが持っている、とあるアイテムに関してのものである。
 前者には高価な宝石としての価値が情熱的に語られ、後者にはその尋常ならぬ効力がまことしやかに噂された。
 
 ―――かの魔法使いが秘蔵する「聖座の眼」には、魔王をも倒す魔力が込められている、と。

 さらには、その「聖座の眼」が見つめる先には、所在の知れない魔王がいるのだという。
 勇者たちは―――勇者となるべく鼻息盛んに出立し、名を挙げるべく功を競った数多くの男たちは、「聖座の眼」を譲るようカリ・シェスティンに迫った。中には譲る、という表現では収まりがつかない者もいたという。暴力的に奪おうと画策した。そしてそれは、ことごとく失敗に終わったという。
 意気消沈して故郷へ帰る者。
 その後の行方が知れぬ者。
 帰るは帰ったものの、まとう雰囲気ががらりと変わった者―――。
 それは推測するに、自信を芯から喪失させるほど徹底的に叩きのめされたのであろうし、どこかへ跳ばされたのであろう。雰囲気が変わった者については、どうやらなよなよとしなまでつけ始めたという噂話から勝手に推測して欲しい………。
 昨年は年間16人の訪問者があり、その人数分の不幸が生み出された。
 今年はすでに8人の自称勇者やら盗賊やらの訪問を受けている。無論、その全員がカリの快楽の材料に供された。
 数年前には、時のラ・ジュディファーノ王の怒りと苛立ちを買い、軍隊を差し向けられたのだが、それもあっさりと撃退している。
 カリにとっては、魔王だの世界平和だの勇者だのどうでも良いのだ。
 ようは、自分が一番で、楽しい事を誰にも制約されずのびのびとやっているに過ぎない。
 ここ数年、世界規模の悪戯にもあきてこのユーティエの湖水地方に落ち着いているが、この手の訪問者が途絶えず、退屈とは縁遠い。
 その上、2年前のことであるが、大変面白いおもちゃを手に入れた。
 それは、いじめれば睨んでくるし噛み付いてくるし、でもご飯がとても上手に作れるし、ここのところおとなしく振舞っているが眼には敵愾心がありありと浮かんでいる。今は敵わないけどいつか!そう眼が語っているのだ。
 何にでもすぐに飽きて捨てるカリにしては、2年を経てもなお飽きずに彼にちょっかいを出しつづけている。
 でっかい悪戯の準備などする気にはならない。
 じつはそのことで、多大に世界平和に貢献しているという事を全く存じない彼――――無論、不幸の代名詞アリーナ君であるのだが、それを知ったとしてちっとも誇らしくないし、ましてや、自分なんて忘れてうち捨てて、世界を相手に意地悪してくれよと思ってしまう親不孝なアリーナ君であった。
                                

                                (02.08.10)


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