◆◇ 4 ◇◆
その声に、アリーナ君はリファインの腕の中でびくんと大きく震えた。
「………ご主人様」
普段の勢いが嘘のような弱弱しい声。なんだか、嫌なことばかり思い出されて、感傷的になってしまったアリーナ君である。
「またまたまた、君は失態を犯しましたね」
見せ付けるように顔をしかめて見せるカリ。その姿は、なおさらアリーナ君を固くしてしまう。
その様子に気がついたりファインは、アリーナ君をそっと背に隠してやる。
「お前に用があるのは私だ」
硬質の口調。刺々しいわけでも神経的なわけでもない。はっきりと自身の意志を貫き通す、そんな一本芯が通った声。
「呼んだつもりはないよ」
カリはといえば、この状況を楽しんでいるように見える。アリーナ君を背に隠したリファインに笑みを張りつけた表情を向ける。
「まったく、君を呼んだつもりはないんだよ、イアン」
イアンと呼ばわれたリファインは、背に隠れたアリーナ君でもわかるほど表情をこわばらせた。ゆれる肩。
「―――その名は、捨てた」
声すらこわばらせて、リファインはカリを睨んだ。
この二人って知り合いなのか??ほんの少しリファインから体を離して、アリーナ君は考える。しかし、アリーナ君がカリのことで知っている事といえば、極悪な性格と究極に強い魔法使いということだけで、彼の交友関係なんか全く存じていない。
しかし、アリーナ君がカリの助手になってから二年ほど、彼の友人が尋ねてきた事などなかった。来たのは、「聖座の眼」を求める自称勇者たちばかりであった。
「そう? 素敵な名前だと思うけどなあ。………あ、そうそう、アリーナ君はもう少し下がってなさい。危険だから」
アリーナ君に気遣うように言いやって、またリファインに視線を戻した。
「久しぶりだけど、何の用………って、まあ、アレしかないわけだけど」
絶世の美貌を惜しげなく振りまいてみせる。どうやら機嫌は至極良いようだ。
「では、手短に用件を言おう。王の勅命で来た。お前の所有する『聖座の眼』を譲って欲しい」
口元をそこすら鎧で覆った指で包む。
口調の淡々とした様子に比して、その面に浮かぶ―――苦虫を噛み潰しまくったような厳しい表情を多少なりと隠すためであったのかもしれない。
そんなリファインの様子を満足そうに眺めやって、カリはたっぷり時間をかけてから返答した。
ただ一言、
「やだね」
随分と素っ気無い。
「なぜだ?」
「なぜ、ねえ?―――別に理由はないよ。でも、自分のものを貸せって言われてはいそうですかと貸してあげるほど、私は親切ではないからね」
「………それはよく知っているつもりだ………おまえが自己中心的な思考の持ち主だという事ぐらい、嫌と言うほど知っている。だが、王の勅命だぞ?」
リファインは懐に押し抱いた王の直筆による書状を出す。
「だから?それで?」
王の権威などまるで崇めるつもりもない、そんな考えなど毛頭ないカリは、ぱちんと指を鳴らして、その書状に火を点した。たちまちの内に、その書状は炎に飲まれた。
「さー燃えちゃいましたよ。どうするんですか?」
カリは悪戯が成功したときのように、非常に悦に入った様子である。
リファインは微かにため息をついて、炎に包まれた書状を放した。地に落ちて燃え尽きたそれを見やって、次に視線をカリに向けたときにはがらりと表情を引き締めていた。それは、騎士の闘志。
「仕方ない。では、剣に訴えよう」
「望むところ」
対峙するのは、美貌の魔法使いの愉悦に満ちた目。
がちゃり、とリファインの腰の剣が鳴った!
◇ ◆ ◇ ◆
まじかよ、と二人の背後で息を飲んだのはアリーナ君である。
当然、リファインに勝ってもらいたい。
どうせなら、カリをめためたにやっつけて、のして、ついでに止めまで刺してくれたら完璧であるが、果たして期待通り行くのか。
今までも期待して盛大に裏切られてきたアリーナ君である。
一度は、どこからどう見てもめちゃ強な拳闘士が自身満万にカリ打倒を宣言するものだから、それに乗せられちゃって大声で応援していたら、あっさりと秒殺され、その後地獄が待っていたということもあった。
ここはおとなしく静観すべきだな。
少し大人になったアリーナ君である。
先ほどは、久しぶりにへこたれてしまったものの、すでに復活しているあたりは、感情の起伏の激しい子供のままなのだが。
アリーナ君は二人から10メートルほど離れた大木の影で二人の対決を見つめた。
対決、といってもそれは剣と剣が交わり激しく攻防が入れ替わり立ち代わり移り変わるようなそれではない。じっとその視線を互いに絡ませ、お互いの動きを牽制しあう静の衝突であった。
まんじりともできない気迫が伝わる。
自然、アリーナ君の額に汗が走っていた。
(………これって)
それははじめて見る光景だったのだ。いつものカリであれば、隙だらけの無防備をわざわざ晒して、油断したり勝機を掴んだと勘違いした輩をザックリと一発の魔法でやっつけて終わり、のはずなのだが………
(すげ………緊迫感)
どちらも相手の出方を窺っている。それだけで、リファインがどれほどの剣士なのかが推察できた。―――カリですら、うかうかと手出しが出来ないほどだ、と。
その瞬間のアリーナ君の心境は自分でも把握できるものではなかった。
リファインに勝ってほしい。勝ってほしいのだ………けど。
(なんか、もやもやする〜〜〜〜〜〜)
アリーナ君は頭をぐしゃぐしゃにかきむしった。
二人が対峙しているだけで気圧されて………こんなに離れているのに、こんなに離れて見ているしか出来ないのに!!
ガキンっと、金属が擦れ合う音が響いたのはそのときだった。
一つの跳躍でカリに切迫したリファインが、必殺の剣を振り落としたのだ。眼前に張り巡らせた結界でそれを遮るカリ。しかし、その剣の余波がカリの黒髪を激しく靡かせた。カリは舌打つ。唇の端が血を滲ませた。が、返す手で相応の反撃を見せる。かまいたちを複数忍ばせた風をリファインに叩きつけた!
「くっ!!」
剣で防ぐものの、全てのかまいたちを避けることは出来なかった。
リファインの剥き出しの顔に幾つのも赤い筋が走る。もしその身に鎧がつけられていなかったら、体全体が血塗れになっていたかもしれない。
「へえぇぇぇ〜〜〜〜〜〜、やるねぇ」
くすりと微笑ったのはカリである。口の端の血が妖艶さを強調する。
「人間では、お前ぐらいのものだよ、私の攻撃を軽傷で済ませるのは」
「下らない口を叩くな」
「あまつさえ、この私に傷をつけるなんて、ね。許せる罪ではないなぁ」
どちらかというと、断然リファイン方がだらだら血を流しているのだが、カリにはそういうことは関係ないらしい。
「殺してやりたくなるね――――お前じゃなかったら」
不気味なほどの美しい笑み。その端正過ぎる顔から放たれる視線は、リファインを貫くほどの迫力がある。少なくとも、アリーナ君ならそんな視線を向けられたらいちころで気死してしまうだろう。
だが、リファインは剣士として精神をも鍛えているのだろう。動じる様子もなく、その視線を受けとめた。
「下らぬ口を叩くなと言っただろう―――構えろ。行くぞ」
剣のつばを鳴らして続きを促す。カリとの戦闘で、そんな挑発をした人物など、アリーナ君の記憶では後にも先にもいない。
「まあ、そう焦らないで………」
しかし、カリはそれに乗るでもなく余裕の態度を崩さない。というよりも、戦闘モードではなくなったかのように見える。ふと、視線を館のほうに向けた。そして、カリはなんとも言い難い―――強いてたとえるなら、アリーナ君をいじりまくって満足したときのような――――つまり、アリーナ君にとっては背筋がつぅっと寒くなる、鬼門ともいえる笑顔を作ったのだ。
(なななななな何っ?????)
とっても嫌な予感を覚えて、アリーナ君は心臓が締め付けられた様に感じた。
「………さーて」
カリは、アリーナ君の予感を裏付ける様に笑顔の邪悪さを増した。
「無くなってしまったよ」
剣を隙なく構えたリファインに言う。
「………何を」
「さぁ、どうしようか?」
「何のことを言っている」
リファインは油断なくカリを剣越しに睨んだ。その顔に、とっておきの邪悪な笑顔でカリは告げた。
「だからね、お前の探し物が、たった今、無くなってしまったと言ったんだよ」
(02.09.17)
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