◆◇ 5 ◇◆
時間は前後する。
それは館の奥深く、地下の小部屋にあった。
薄く青色に色づいた水晶のような球体―――それこそ、世界に数頭しかいないという竜の眼球であり、希少価値の高過ぎる宝石・竜珠である―――が、純銀の燭台状の台座の上に不可思議なことに浮いている。それは仕掛けゆえではなく、その竜珠の秘めたる力がゆえであった。よく見ると、竜珠の中で瞬きをする目がある。竜珠に封印され、その力でさらに魔力を高めさせた魔生物体。その眼球が見つめる先には魔王あり――――そして勇者に、魔王を倒さしめる力を授けるという世界の秘宝、誰しもがその所有を望みし重要アイテム「聖座の眼」がそれであった。
「見っけ」
小声で囁く人物が一人。
厳重な魔法封印を解除してこの小部屋に侵入を成功させたのであった。
世界中の自称”勇者”たちが望むアイテムを前に、男の瞳は歓喜で揺れていた。ただ――――なんとなくその目の輝きは「世界をこれで救える!」という義侠心に満ちたものではないかのように見うけられる。いや………どちらかというと、子供が宝物を手に入れたときのような、純粋に目の前の宝物に魅入らせられたような輝きで――――
「すげぇ………ダイヤでもこんな光輝はないぜ」
内側から仄かに青く、辺りに振りまく光に顔を照らす。綺麗過ぎて、そのまま何時間でも鑑賞していたくなる。
そう、彼は大の宝石マニアだった。「聖座の眼」こそ、世界随一の宝玉との噂を仕入れ、今回の犯行を思いついたのだった。誰しもが不可能だと喚いていたが、なんのことはない、ただの魔法封印を解除するだけの容易な警備であった。
にやりと笑う。その唇に降りかかるのは、真紅の髪一束。ルビーを灼熱の炎で溶かしたような色合い。そんな髪の色を持って生まれた彼は、その宝石を愛する性癖を運命付けられていたのかもしれない。
竜珠の内の眼球は、その瞳を静かに閉じていた.。
◇ ◆ ◇ ◆
「探し物が無くなった」―――そう言うカリに、リファインは不審の目を向けた。
「どういうことだ?」
「そのままですよ。君の探し物が無くなったの。今、この瞬間、このユーティエの館から、盗賊に盗まれて」
にっこりと笑顔で告げるカリのどこにも、してやられたという苛立ちは見出されなかった。その分、アリーナ君のぞわぞわは広がっていく。
「それは聖座の眼のことを言っているのか?」
「それ以外に君がここに来た理由はあるの?………もしかして、実は私に会いたくなったとか?」
リファインは返答する必要すら見出せなかったようだ。瞼を閉じて、カリの笑顔を視界から消した。
「………貴様、何を考えているんだ?」
抜き身の剣を鞘に戻すリファイン。
「なぜ、あえて、聖座の眼を盗ませるのか?」
あえて―――それはそうだろう。この、抜け目のない男がまんまと盗賊ふぜいに出し抜かれるとは思いがたい。リファインの問いは鋭いものだった。
なにより、この十数年間、王様が自称勇者がさらに盗人の多くが、喉から手を何本も出してきて奪いとろうと躍起になっていた聖座の眼であるが、カリはそれら全てをことごとく撃退してきたという経歴がある。事情は一切無視、世界を救おうという正義に荷担しようという気はさらさらないカリであった。ましてや宝石としての価値を見出す者たちに情けをかけようはずもない。館への侵入者はとくに手ひどい目にあわせて退散させていた。
それが、「盗まれた」とはどういうことなのか。
カリはくすくすと声を漏らした。いかにも―――ものすごく、どうにも収まりがつかないぐらい、最高に楽しそうだ。
「あえて、ね。あえて―――うーん、そう言えないこともないかな? まあ、抜き打ちテストってものは必要だからね。油断してる子を驚かせるのって私の趣味なんですよね。………ね、アリーナ君?」
いきなり話題を振られてアリーナ君は恐慌に突き落とされた。
「な、えっ、オレぇ!」
アリーナ君は最近何かまずいことをしたっけ………と本気で思い出そうとした。したけれど、少なくとも薬草事件以来、花丸と言えないまでも水準並の働きをしたつもりだし………今日なんか、カリの羽根布団を午前中いっぱい外に干してあげたのだ。太陽の光をいっぱい受けたお布団は、とってもいい匂いをはなっていた。ん、だけど………
「見事に落第ですよ」
ずばりとカリはアリーナ君に告げた。
「先日言ったばかりでしょう、君に聖座の眼の管理をするようにって。まったく管理どころか盗まれてしまうなんてねぇ………責任問題ですよねぇ?」
傍目には、カリは機嫌よく映っているのかもしれない。にこにこと笑んでいる姿は実に愉快そうだから。
しかし、アリーナ君はよーっく、身に沁みて知っているのだ。
(………てめぇの魔法封印がてきとーだからだろぉ!)
と、心の中では反駁だって出きるのだ。
けれど、アリーナ君が想像できる近未来にカリが己の魔法封印の甘さを反省するなんて構図はない。ありえない。なぜなら、今までもカリは魔法封印に頼ることなく―――どころか、魔法封印を解いてぬか喜びした盗賊を、あと一歩というところでやっつけるのがお好みなのだ。だからこそ、魔法封印はもともとありふれた陳腐なものしか張っていないという周到ぶり。
魔法封印を解かれても構わない―――そのあとでいくらでも撃退できるから。
でもそれは、てめぇだけしか通用しないやり方じゃないかぁあああ!!
アリーナ君はそろそろ全貌が見えてきて、怒りと不安がむくむくと心の中に巻き起こるのを感じた。
(オレ、絶対ハメられてる!!!)
一応、この館で一番の宝が聖座の眼である。その管理を任すって言われてあるが、普通そういうのって宝石に埃が積もらないように布をかけたり、空気を入れ替えたり、たまに磨いてあげたりすることを言うんじゃないのか?? まさか、どこの誰が、こんなご主人様がありながら盗まれないよう気をつけたりするんだ!? 自分が一番、盗人を歓迎しているくせに!!!!
「責任問題ですねー」
めちゃくちゃ楽しそうに何度も言うカリが、盗賊に裏をかかれたなんて、それはやっぱり絶対ありえないわけだ。
(ちくしょー)
アリーナ君は心の中で声を大にして叫んだ。本当なら現実に叫びたいところだが、そんなことをしたら後が怖すぎる。今はせいぜい、嵐が過ぎるのを耐えるのみ。じっと我慢の子だ。
俯き加減になったアリーナ君に、カリは悠々と近づいてきた。
「今すぐにでもお仕置きしてあげるところなんですが、人前ですしねぇ? アリーナ君も恥ずかしいのは嫌でしょう?」
アリーナ君の頬を手のひらで包みながら、カリは意味ありげな視線をリファインに送った。なんとも誤解されやすいシチュエーション。頬の手のひらはゆったりと、親指をアリーナ君の唇に掠めさせながら首筋に移動した。リファインは呆れたようにカリの愉悦がたっぷり溢れた表情を見ていた。アリーナ君が頬を真っ赤に染めてそれに耐えている様がいじらしく、見ていられない。四月中旬の冷気を孕んだ風が、この子の頬を熱を冷ましてあげられたらいいのに………リファインはそう思った。
首筋の手が再び上へ移動し、顎に当てられた。そっとアリーナ君を上向かせる。アリーナ君の青い瞳が、今にも涙をこぼしそうで―――しかしその瞳の色は決してあわれを誘うばかりではないことを知る。強い目、意志のある目をしている………この子はやられているばかりではないのだな、そうリファインに思わせる。この性悪な―――しかし能力だけは神から多大なほどに恵まれた男を相手に、二年間も耐えてきただけはある。
「そうですね………」
カリはそんなリファインの考えなど関知しない。
顎を取られて上向かされたアリーナ君が、涙だけは流すまいと必死に食いしばっている様がカワイくてカワイくてカワイくて、もっといじめたくなるばかりだった。さらに先ほどカリが出現した際、アリーナ君はとっさにリファインの背に隠れた。その仕返しをしてやらないといけない。もちろんアリーナ君は直接的に、リファインにはそれを見せ付ける形で。―――この子は私のものなのだから。
カリはアリーナ君の手を取った。
「まずはこっちを先にしてもらいましょうか」
その手を自身の唇に持っていく。わずかに血の滲んだ口の端へ、アリーナ君の指先を触れさせた。
「ご主人………さま…?」
アリーナ君は指先の感触に震えた。カリの血が、アリーナ君の指先の爪に染み込んだ。
「痛むんですよ、すごく、ね」
だから………カリはアリーナ君にほほ笑んだ。
その笑顔はあまりに美しく、眩いほどで、アリーナ君ですら数瞬見とれてしまっていた。
(02.09.19)
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