世界はキミのもの |
長い、長いキスをした。
互いに舌を絡めあった。
そんな風に成瀬を求めたのは初めてで、心臓が痛い程に高鳴っていた。
「あ……」
上半身を晒した成瀬に、秀弥は小さな悲鳴を上げた。
「成瀬、その包帯……」
左肩口から左上腕にかけて巻かれた包帯。その白い布にわずかに血が滲んでいる。
「ああ。たぶん傷口が開いたな」
素っ気無く説明する成瀬に、混乱したのは秀弥のほうだった。
「え……だって、傷口開いたって」
それはもしかして、先ほど自分を抱き寄せた、その際の衝撃なのではないだろうかと、秀弥の表情が固くなる。
「気にするな。俺の不注意だ」
そう言われても、気にしてしまうのが秀弥の性分だ。
(傷口が開いたって―――こんなところに傷だなんて)
そこでハッと秀弥は気付いた。チラリと視線をアルミ銀の山に向ける。
(そう言えば、“痛み止め“って……)
あの時は聞き逃したけれど、ただの風邪や発熱で痛み止めを服用するだろうか。
「成瀬……?」
「気にするな」
「でも」
食い下がる秀弥に、成瀬が小さく舌打ちを入れる。「やっぱり帰しておくべきだったな」という呟きは、口腔内で納められたので秀弥に届くことはなかった。
しぶしぶといった体で簡略に説明する。
「日高のところの子飼いが特攻かけてきただけだ。一人だったせいで油断した。俺のミスだ」
眉根を寄せる成瀬。秀弥はわき上がる疑問にその手を胸に当てた。
(ミスだって……でも、それって)
初めてまともに見つめた成瀬の上半身に、幾つも残る傷跡。成瀬の肌が白い分、傷跡がひどく無残に目に映った。
(今回が初めてのはず、ない……!!)
それに日高という名前。
どこか、記憶残っていた。色々な意味不明な言葉と共に、耳にした気がする。
おそらく――――と、秀弥は思い浮かんだ疑問を口にした。
「成瀬、お前こんなことがよくあるのか?」
こんな―――生命を狙われるようなことが。
秀弥は恐々と胸に走る傷口に触れた。もうすでに痕だけになった傷。けれど、その斜めに走る傷痕は、生々しく秀弥に痛みを想起させる。
(もしそうなら、いろんなことが説明つく……)
休みがちな成瀬の、その訳も。
先日の、成瀬の義父の挙動も、全て。
「最近はだいぶ収まってきている。今回がミスった上に、傷のせいで熱まで出たってだけだ」
憮然とした成瀬の声。本気で秀弥に知られるつもりはなかったのだ。
ましてや、その襲撃が秀弥を送ったその帰りに行われたなんて知ったら、お門違いの罪悪感まで抱いてしまうような秀弥なのだから。
成瀬は少し乱暴に秀弥の体をソファーに倒した。
「お前を巻き込むつもりはないから―――構うな」
その露になった胸に、唇を落とす。
「――――ッあ!」
秀弥は胸に落とされた刺激に、高く鳴いた。パッと、身体中に火照りが走る。
「なるせっ……」
突然始められた愛撫に戸惑う。なのに成瀬の舌は、容赦なく秀弥の胸の突起を転がすのだ。
「待てってば!」
制止を叫ぶが、その声に追及の意図を感じたのか、成瀬は紛らせるようにとより深い愛撫を施す。右を舌で刺激され、左を指先で転がすように回されると、体内の熱がどんどん高まってくる。言葉が意味をなさなくなる。
「あ……っ、や、成瀬……って!!」
それでもどうにかギリギリのラインで踏みとどまった秀弥が抵抗するのを、成瀬はその口ごと封印する。
「黙ってろよ」
低く呟いて、最初からより深いところを求めてくる。舌の奥のほうを舐め取られると、感覚すべてが自分じゃ制御できなくなる。
(成瀬―――――)
急激に高められた熱の中で、それでも秀弥は確信したように思った。
(お前の方がよっぽどワケわかんないじゃないかよっ!)
構うな、なんて。
いつもの独特の乾いた低めの声で囁かれたら、まるで牽制されているような―――近づくなって脅されているような気分になる。
でも。
(俺の自惚れじゃないんなら……俺が自惚れてもいいんなら)
構うなっていうのは、成瀬なりの気遣いなんだろうか?
(……凄くわかりにくいけど!!)
きっとそんなのは、クラスメイトの中でも俺ぐらいにしかわかんないだろうけど!
でも――――と、秀弥は成瀬を仰いだ。口の中はもういっぱいいっぱいに翻弄されていて、そのせいか、目許がやけに熱っぽく潤んでいたのだけれど。
(でも、成瀬はずっとそうだった……)
そうやって改めて思い返してみれば、成瀬はいつだってひどくわかりにくいながらもちゃんと言葉をくれていた。選択権はいつだってほとんど秀弥にあった。
最初の時だって、あくまで秀弥が拒否することも出来た。
その後だって、「本当に嫌なら、それなりの抵抗をしろ」って、あれだって抵抗をまともにしなかった自分にも責任があったのだ。
そうだ。
強引なヤツだって、怖いって、そう思ってばっかりで、逃げてばっかりで―――何もかも押し付けていたのは秀弥のほうだった。
先入観で成瀬を推し量っていた。成瀬はそういうヤツだと信じて疑ってなかった。
本当はこんなにも成瀬のことなんて知らないのに。
知らなかったのに。
(俺は……)
また、何かが喉もとまでせりあがっていた。
けれど、その口から零れたのは深いキスの名残のような喘ぎだけだった。
「…イイ声。やっぱり黙るなよ」
からかいを含んだ囁きに、さらに熱を煽られる。もう、頭と身体が別々になってしまったみたいになっている。いや、頭だって正常な働きをしているとは思えない。
(もっと……)
ねだるように思っているから。
唇が離れてしまったのを、ひどく淋しく思っているから。
「成瀬……」
自分の声じゃないぐらいに甘く響く。絶対に、もの欲しそうな目になっている。
「もっと?」
その囁きにも、目を瞑って答える。
「……へぇ、正直」
そう言って、ご褒美とばかりにキスを重ねる成瀬に、秀弥は自ら舌を絡ませた。すぐさま呼応する成瀬の動きに口内を満たされる。
そのまま成瀬の指先が胸元から下へと這っていくのを、その緩やかな動きを待ち遠しくすら感じる。晒された秀弥のモノの先端に成瀬が指をかけた時、だから秀弥はひときわ高く喘いだ。
「ああっ―――んっ!!」
触れられた途端、電流のようなものが身体を駆け巡る。びくんと小さく痙攣した。
その反応に成瀬が口の端をつっと上げる。綺麗な成瀬の顔がそんな風に微笑を刻むと、眩暈を覚えるほどに魅惑的になる。細められた茶色の瞳に、視覚まで虜になる。
どくどくと心臓が早鐘を打ち鳴らしつづけていた。胸郭を圧迫するほどに内から突き上げている。
いつもより尚早な動きで成瀬が秀弥の後ろに指を伸ばすのを、秀弥自身待ち焦がれたように身体を浮かせて助けた。
成瀬の微笑がより深くなるのを、眩しい思いで見上げる。
(どうしよう……)
心音がめちゃくちゃにデカくなってる。バクバクいっているのが、鼓膜にまで伝わってきていた。
「お前の中、凄く狭くなってる」
指を一本、秀弥自身から溢れたぬめりを掬って後ろに入れられる。
「…んッ!!」
痛みよりも何よりも、くすりと微笑う成瀬の表情と声に囚われる。なんて扇情的な顔をするんだろうって―――なんて楽しそうに囁くんだろうって。
凄く綺麗な成瀬の、そんな表情は、きっと自分しか見たことがない。
そのことに、我ながらビックリするほどの優越感を感じてしまう。
「―――それも悪くないけど」
独り言めいて呟く成瀬が、きっと、こんなにも。
「あ……ん、っ……」
口から漏れたのは、成瀬が秀弥の体内で指をくっと曲げたから。
秀弥は包帯の巻かれた左肩を避けて、その手首に指を絡みつかせた。何か縋るものがないと、どこかへ落ちてしまいそうな快楽に気持ちを縛る箍が外れる。
(成瀬―――お前が、きっと、こんなにも)
あの日以来、ずっと成瀬の“あの言葉“を待ち続けた。
でも、そうじゃない。
そんなんじゃ、何も変わらない。
成瀬はいつだって、同じスタンスで接してくれていた。
変わらないといけないのは、変わってしまったのはむしろ俺のほうだったんだから。
言って欲しいなら、それなら……
「なるせ……」
少し緩んだそこに、二本目の指が忍び込む。その圧迫に、何度も何度も息を整えながら、それでも秀弥は喘ぐ呼吸の中で言葉を紡いだ。
「成瀬……お前が、好き、だから……俺、お前のことが」
言葉と一緒に、なぜか嗚咽が零れた。
(子供みたいだ……)
ようやく言えて、言い出せたことが嬉しくて泣いているなんて。
ずっと、本当に伝えたかったことはこの気持ちだったなんて、今更ながらに気付く。
あんなに焦っていたのは、会えずに不安でいっぱいになったのは、きっとこの気持ちのせい。抑えて抑えて、抑えすぎて、だからあんなのにもキツかった。成瀬でいっぱいだった。
「……秀弥」
成瀬はしばし指の動きを止めた。軽く瞬きを繰り返して、そしてすっと指を秀弥から引き抜く。
「悪い、ちょっと痛いかも」
らしくなく、気忙しげに断って。秀弥の両足を肩の傷など構うことなくそこに背負い上げた。
「―――ッッ!!」
途端、秀弥を貫く激痛。まだ慣れないそこが、成瀬の太いモノに貫かれて悲鳴を上げる。
もしかしたら、初めての時以上の苦痛に秀弥の額にじっとり脂汗が浮く。けれど心は、初めての時は想像もしなかった思いに満たされている。
「あ……んッ、っ……なる、せぇ」
額の汗を指先で払って、もう片方の指は痛みを紛らわそうと秀弥自身に絡ませる成瀬。その成瀬自身、狭すぎる秀弥の中に眉根を顰めている。
「……痛いか?」
でも、成瀬の与えてくれる言葉はどこまでも秀弥に向けられていて……秀弥の中がその大きさに馴染むまではと、じっと動かない。逆に、秀弥のモノにあてがわれた指先は、的確な動きで情欲を高めてゆく。
「……んぅ……、ん、ああ」
痛いのか、イイのか、ワケがわかんなくなる。でも、それでも一つだけ確かなのは、成瀬をもっともっと感じたいってことで、秀弥は途切れる呼吸をどうにかつないで成瀬を誘う。
「っ、もう……だいじょーぶ、だから、だから―――」
「――――ッ」
その言葉で、成瀬のモノがさらに質量を増した。内側でそれを感じて、秀弥の頬も赤く染まる。
「お前が悪い」
いつもの調子を取り戻したのか、成瀬が低く微笑う。
ほんの少しだけ引き抜くと、ゆっくりと突き入れてくる。秀弥の表情を見据えて、「ホントに大丈夫そうだな……」そう呟くと、いきなりぐっと奥深いところに差し込んだ。
それは秀弥の唇を奪うためだった。身体を進めて秀弥に覆いかかる。けれど、あまりに突然深くまで突き上げられて、秀弥は弾けるように喘いだ。
「ッあ!! んんっ――――――うぅ!」
その声すら、成瀬の唇に封じられる。理性なんか、最初の一撃で吹き飛んでしまう。口内で荒れ狂う成瀬の舌に、思うが侭に翻弄される。
そして何より―――呆気ないほどあっさりと口腔から唇を移動させた成瀬が、その耳元で囁いたのを聞いた時……秀弥はくしゃくしゃにその顔を歪めていた。
「うんっ……俺も、俺も―――!!」
何度も何度も頷いてみせる。
目の奥が痛くなるぐらい、涙が溢れてくる。
(だって、ずっと――――ずっと聞きたかったのに)
受身になっているだけじゃ、ダメだったのだ。
だって、欲しい言葉はこんなにもたやすく与えられる。
――――愛してる、って。
秀弥が欲しがるのなら、ちゃんと貰えるのだから。
「なるせ……なるせっ!!」
突き上げがいっそう深くなる。もうとっくに知られている秀弥の弱いところをキツク責められて、秀弥は限界を覚えた。触られてもいないのに、前も限界まで張り詰めている。とろとろと流れているのは、我慢の限界を示すもの。
「イけよ」
言われて、最奥を貫かれた。
「や――――ああッ!!」
声にもならないほどの高い嬌声を迸らせて、秀弥は己を解き放った。
|||||||||||||||||||||||||||||||||
その後も体力の続くままに、リビングで成瀬に翻弄され尽くされた秀弥である。
「くぅー―――――――……」
今や、成瀬に屈辱のお姫さま抱っこをされて寝室に寝かしつけられていた。うつ伏せになって鈍痛にあえぐ腰を押さえている。
「飲む?」
かたや、ポカリを片手にうっすら微笑う成瀬に、秀弥は恨みがましい視線を送った。左肩の包帯は外されて、今は簡単にガーゼを当てていた。痛みはないのか、余裕たっぷりの表情である。
(…あんなにすることないだろ……くそう)
数えたくもないぐらいイかされて、ビックリするほど深くまで突き入れられて―――ったく、ホントにお前は発熱していたのかと言いたくなる。
けれど、その口から零れるのはやはり押しの弱い一言で、
「……の、飲みマス」
なのだから、生来の性格というものは厄介なのである。
気持ちが通ったといっても、女の子みたいにベタベタする気にはなれない秀弥であるし、元々成瀬にベタベタするところなんか想像も出来ない。
それに―――。
と、秀弥は成瀬をそっと仰ぎ見る。
(――――……コレだしなぁ)
成瀬の端麗な横顔に、秀弥はうめくようなため息をつく。すでにその顔は真っ赤に染まっている。うつ伏せになっていて良かったなんて安堵しながら。
情事に濡れた色素の薄い髪をしな垂れさせて、同じく色素の薄めの瞳を半眼に閉じた成瀬は、本当に―――本当に綺麗で、しかも上半身がまだ裸のままなものだから、ただそれだけで秀弥の心臓を圧迫してくれるのだ。ドキドキで胸が痛くなる。
まともに見上げられない。
本当にこんなのとヤったりだとか、愛してるなんて言われたのかと現実を疑いそうになる。
「―――何だ?」
そんな秀弥の盗み見を感じ取ったか、成瀬が笑気混じりの声を投げ掛けてくる。
「……う、っと」
どくんと、血脈が波打った。
(やっぱ、めちゃくちゃ迫力あるし!)
どこまでもやっぱり弱気な秀弥である。あたふたと会話の糸口を探して視線を周囲に巡らせた。
(……??)
そして見つけたのが、ベッドの脇に置かれた写真立て。シンプルな枠の写真立てであったが、家具という家具、装飾品という装飾品がない部屋の中ではとても目立っていた。
秀弥は思わず腕を伸ばしてそれを取り上げた。
「成瀬、これ―――」
問い掛けた自身の声が、語尾を変に弾ませるのを聞き取る。
(え?)
もう一度、まじまじとその写真に目を向ける。
家族写真と思しき一枚。
(これが、成瀬、だよな……?)
中央で椅子に座らせられた4,5歳の少年。幼さの中にも、どこか成長すれば成瀬になりそうな気配を窺わせている。いや、おそらく本人に間違いないだろうから当然といえば当然なのだろうが……
(じゃ、この両脇の人たちが――――両親?)
「ええ?」
家族旅行にでも出掛けた先で撮ったのか、どこからどうみても日本でなさそうな……秀弥の推測するところ、香港っぽい雰囲気を覗かせる景色。中央の少年の座った椅子の意匠などにも、その系統が感じられる。まぁ、正確なところ、香港と中国と台湾の違いなど秀弥に判別できる訳もないが。
(いや、そこじゃなくて――――)
秀弥は自身を落ち着かせるように、浅い深呼吸を繰り返した。
中央の幼い成瀬の右脇―――やったら美人な黒髪の女性が成瀬の母親であるのは、説明されずともわかった。目許や口元に、ありありと遺伝を見て取れたのだ。それに、先日会った成瀬の叔父兼義理の父という―――確か、恭平という名のその人にも、その女性はひどく似通っていた。
(でも、じゃあ……こっちの人が??)
瞬きを繰り返す秀弥に、成瀬が素っ気無く答えを投げ掛けてくる。けれど、秀弥にとってそれは爆弾に等しい効果を持っていた。
「ああ。親父の映った写真で残ってるのはそれだけだから、けっこう貴重」
ベッド際に腰掛けて、こちらに視線だけ向けてくる成瀬。一瞬うめいた秀弥は写真の右脇の人物を指し示して、しつこくも再度確認を求めた。
「――――親父?」
「そう」
「お父さん?」
「そうだが」
(マジ……!?)
成瀬のことを全然知らないってのいうのは、自分でもよくわかっているつもりだった。けれど、ここまで根本的に何にも知らないとまでは思っていなかった。
ごくりと生唾を飲みこむ。
「こ、込み入ったことを聞くようだけど……成瀬ってハーフだったのか?」
もう一度写真をよーく見つめて問うた。気のせいか、額にじんわり汗の感触。
やはり、どう目を凝らしてみても、その右脇の人物が純粋な日本人には見えなかった。いや、というよりも正直、普通に外国の人っぽい。長身で結構ガタイのいい、茶色い髪の人物。白人系というほどでもない―――どこかオリエンタルなイメージを感じさせる。ただ、その茶色い瞳が成瀬によく似ていた。写真の中では、うっすらと目許を和ませて幼い成瀬を見つめている。その笑い方も、どこか成瀬を彷彿とさせる。
複雑に顔を顰めて押し黙った秀弥の耳に、成瀬の微笑が伝わってくる。
「いや。親父が日系とのハーフだから、俺はそう言わないんじゃないのか?」
その新たな情報が、数秒のラグで正確な認識を導き出した。
(……ってことは、クウォーターかよ!!)
どちらにせよ、全く今まで気付かなかった。”新事実”に、秀弥はぱっくりと口を開きっぱなしになる。
―――確かに、成瀬の外見が日本人離れしてると感じてはいたけど……本当にそうだったなんて、勿論であるが考えもしなかった。この深い色の目も、優しげに見える写真のお父さんから受け続いたものなのか……秀弥はまじまじと写真と、そして成瀬を見つめた。
(うわ……なんか俺、今日だけで凄まじく成瀬のことイロイロ知ったのかも……)
本当のところは、今まで知らな過ぎただけなのかもしれないが。
「でも成瀬、その割には英語の授業とか、全然普通じゃんか……」
愚痴るように呟けば、「発音の部分は英語教師が当てないだろ、なぜか」と笑われる。それでなくとも、思い返してみるとほとんどの教師が成瀬を授業で指名したりしないのだ。たぶん、そういうところでもやくざの息子っていう看板が活き活きと効力を示している。
「まぁ、少なくとも得意教科にはなるんだろうが―――お前にも、もしかしたら勝てるかもな」
成瀬がさも可笑しそうに言う。
なんだか悔しくなって、秀弥は「明日の古文小テストで勝負だからな!」なんて成瀬に向かって宣言していた。
「ちゃんと学校に来いよ! 来なかったら敵前逃亡と見なすんだからな!」
「……ああ」
「返事にやる気が感じられないし」
「そりゃ、不利だからな」
「じゃあ、ちゃんと学校来いよ!! ていうか、今から既習した部分一緒にやる?」
「へぇ、お前が教えるのか?」
「むぅ……なんだよ、不満なのか?」
からかいを感じた秀弥は、顔を顰めて不服そうに突っかかる。
それは、驚くほどに自然な感じで―――まるで長年の友人である貴久としゃべっているみたいで、そのことに気付いた秀弥はなぜか頬を火照らせていた。
(うわ、なんか、凄いな……)
凄すぎて照れくさい。成瀬とこんな風にしゃべることが出来るなんて、考えてもみなかったし。
「――――ああああっと、じゃ、じゃあ!!」
目を細めてこちらを見つめる成瀬に、秀弥は途端血圧を跳ね上がらせた。
「勉強始める前に、ちょっと質問なんだけどっ!!」
「なんだ?」
やっぱりまともに見つめ合うなんて不可能だ、そう思いながらどぎまぎと思いついた疑問を口にする。とにかくとりあえず、会話しまくればそこまで視線なんて気にならないだろうし……成瀬のことをどんどん知っていけるだろうから。
「お父さんの名前、なんていうの?」
「……」
「あと、お母さんも」
意図を取りかねたように成瀬は不可解な表情を見せるが、秀弥の無邪気な様子に苦笑を忍ばせた。
「お前の家は?」
きょとんと小首を傾げた秀弥に、成瀬は再度「お前の家。先に教えろよ」と囁いた。
「え? 俺の家? 俺の家は普通に、お父さんが小菅秀一で、お母さんが佐江子だろ。あと、姉と妹が一人ずついて、上が莢佳で下が莉佳」
ほらな、めちゃくちゃ普通だろう、と秀弥は笑いながら言う。はにかむ表情に、自分では気付いていないが家族への愛情が存分に篭められている。
「―――アレク……アレックスに、真理亜」
そんな秀弥に促されるように、成瀬はその名前を口にしていた。
「わ〜、なんか当たり前だけど外国人っぽいなぁ!!」
秀弥は素直にすごいな、カッコイイと感嘆する。
(……? あ、でも、じゃあ―――もしかしたら)
ふと思い立って、成瀬を仰ぎ見た。
「セカンドネームって言うんだっけ? 実は成瀬にも有ったりする…とか」
言った途端、「うわ……!!」、と秀弥は目を見張った。
「……それは教えない」
出会って初めてというぐらい、苦い顔した成瀬に驚きを隠せない。どうやら偶然にも、アキレスの踵にほど近いところを探り当ててしまったようだった。
(うわ……なんか弱み握れそう、っぽい)
わくわくと胸踊るのが自覚できる。人が悪いけれど、でもそれぐらいのし返しはしてもイイかもしれない……と、秀弥は口端をにんまりと吊り上げた。
「成瀬、実はマイケルとかトムだったりする?」
ありがちな名前を持ち出して、まずはジャブを繰り出してみる。
「秀弥―――」
強めの成瀬の声。いつもならそれだけで萎縮してしまう秀弥だが、今は事情が違う。のっぴきならない疑問という名の好奇心が首をもたげているのだから!!
そうだよ、成瀬のことを知るステップの一つみたいなモンだ!
己への良い訳も都合のついた秀弥は次なる攻撃を仕掛けようと口を開いた。
――――その時だった。寝室の隅の床に直に置かれた電話機が、けたたましく鳴り出した。
舌打ちを一つ入れて、成瀬は秀弥を軽く睨む。「教えないから忘れろよ」と告げるのが、捨て台詞のようで可笑しかった。
電話を済ませたら、今度はどんな風に追求してやろうか。
秀弥は楽しそうに笑顔を見せながら、成瀬の背中を視線で追った。
―――けれど。
その電話が鳴るのが非常事態の時だけという事実を秀弥は知らなかった。
話題に上っていた成瀬の父親と母親がすでに亡くなっているということも。
なぜ、写真の取られた地が外国だったのかも。
そして成瀬が一人、こんなマンションで暮らしている理由も。
「……なんだって!?」
電話を受け取った成瀬は、挨拶もなしに告げられたその名に鋭く叫んだ。電話先の人物も混乱か興奮かに、ひどく声が大きくなっている。意味までは伝わらないが、言葉の切れ端が受話器から零れ聞こえる。けれど、秀弥にはわからないその一つ一つが、成瀬を包む空気を研ぎ澄ませていくのだけは感じられた。
成瀬の豹変に、秀弥の笑顔が凍りつく。
(…何が―――?)
不安に心が騒ぐ。
「―――…ーダーインクがどうして」
その気持ちと呼応するかのような成瀬の重い声。
そこまで口にして、成瀬は一瞬息を飲むと秀弥に視線を投げてきた。目の際にキッと皺を寄せる。
「―――Explain in English in more detail」
次の瞬間、成瀬が電話口に話し掛けたのは、流暢なネイティブイングリッシュ。学校でしか英語に関わることがなかった秀弥には聞き取れない発音の仕方。
(説明しろ? 英語で? ―――ダメだ、わかんない!!)
それが目的なのだろう。
次々と繰り広げられるのは、完璧な英会話。相手も成瀬に合わせているのか、受話器から零れるのも英語と思しき単語だらけになる。完全に秀弥だけが取り残される。
何が起こったのかなんて、全くわからなかった。
電話を終えた成瀬が告げたのは、たった一言だったのだから。
それも、つい数分前まで、浮かれたようになっていた秀弥をざっくりと切り裂くような一言。
―――二度とここへ来るな。いいな。
ただの一言で、秀弥はその部屋から追い出されていた。
余韻も何もない別れであった。
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別名、「ウサギさん、虎穴に入る!!」編です。
1ページにまとめるには長すぎたので前後編に分けました。
はてさて。某オオカミの素性がだいぶ知れてきました。
次回もこの流れで、怒涛の任侠編風雲急を告げる!!というカンジでしょうか?
……ではでは、ココまで読んで頂いてありがとうございますv
(03 05.24)
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ROUND8(前)<< NOVEL >>ROUND9 |
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