アリーナ君と魔法使い・第2章


 ◆◇ 5 ◇◆
 
 さて、時間は前後する。
 ごうごうと勢い立てて炎が天井を舐め踊ったその直後、ただ一人、音もなく酒場裏口から滑り出た者がいた。しなやかな動きに、一分の隙もない。ニヤリと一度酒場を振り返った後は、風にまぎれるように走り去った。
(アホどもめ……)
 くくっと口端から嘲笑が漏れ出る。その声すらも、風に吸いこまれるように立ち消える。幾人かとすれ違ったものの、彼に気付くものはなかった。気配を消した彼を、その視界に収められるものなどいないのだ。暗夜の一陣の突風のごとく、往来を走る。
(しっかし、アホだよなぁ……)
 酒場の狂乱を思い出すと、自然とほくそえんでくる。風を切る彼の頬は鋭く釣り上がっていた。普段から軽薄に垂れた眦が、よりいっそ可笑しげに垂れ下がる。この男、完全に事態を楽しんでいるのだ。
 何せ――――
(あ〜んな、バカ騒ぎ起こしやがって………)
 くくくくくくっと、笑いの衝動が湧き上がる。
 この町は、何度も述べるが、非常に治安のよろしくない・悪党大手を振って闊歩するような町だ。自分がルールな人種の結集地なのだ。群れるものもいるし、強きにへりくだる者、逆に一匹狼ぶるものも多い。しかしそんな混沌極めたからこそ、純然たる力を発揮するモノがある。
(アホどもが……裏でこそこそやってりゃイイものをよ)
 述懐には、有り余るほどの皮肉がまぶされていた。
 何せ、である。
 こんな町で正攻法で人探しをやるほうが間違っているのだ。町中で通りすがりに「もしもし」なんてやってたら、まず間違いない、10分であの世に行ける。3分で身ぐるみ剥がされて逃げ帰るってほうが、よほど運がイイ。それがこの町の常識なのだ。たまに、剣だの獲物持参で脅しつけて、狙いの人物の居所をはかせようなんて言う筋肉バカなヤツもいるにはいるが、それ相応の末路をたどっている。腕に覚えのある連中なら、掃いて捨てるほどこの町にはいるのだから。
 そして、人探しにおける一番最悪なパターンがあれだ。
(こ〜ゆ〜トコにいる奴等ほど、人生経験は豊かってな)
 どこからどう見ても“こいつに逆らっちゃヤバイ”ってのを嗅ぎ付けるのが、一般人に比べて大変すばやいのである。だからこそ、男は炎の龍が上がった途端、直感的に酒場から逃げ出した。機をみるに敏。彼にこそ遅れるものの、後ろ暗いことの三つや四つぐらいゆうに抱えた者どもの集り場である。今ごろ、大勢の奴等が慌てて逃げ出しているところだろう。その騒ぎに拍車を掛け捲るように、炎の龍が舞い踊っていたのだし……誰が、大人しく捕まるもんかよ。逃げ遅れた奴があっさり口を割ったところで、とっくの昔にこっちはトンズラかましてるって寸法だ。
 長いものには巻かれてイイ。弱い奴、間抜けな奴はそうやって行きぬけばイイ。だけど、それに巻き添え食らわぬようにするぐらいの器量がなきゃ、大成なんかするわけねぇよな。
(さっさと金を積んで情報買ってりゃ良かったのによ………まったく、アホがあんな物騒なチカラもってりゃそりゃ公害だっての)
 まぁ、しかし件の相手がアホだったから助かったとも言えるのだが。
 男は鼻先だけでせせら笑った。
 あれを出したのが、間違いなく例の魔法使いであると確信していた。
(世界一の魔法使い。指先一つで世界をいじる、出会ったら最後、ヤツの気分次第。やることなすこと極めつけの悪夢………ねぇ)
 噂なんていうのは、信じられない勢いで脚色されちまうもんだ。いやホントによ。
 何百年も昔っから、腐るほどに悪事ばっかり働いてりゃ、そりゃイロイロ尾ひれも背びれもとさかもしっぽもついてくんだろうが。
 ま、それすら出し抜いてしまった俺が凄過ぎるだけなんだけど。
「くくっ」
(あ〜、間抜けな魔法使い様のご尊顔を拝見してぇもんだな)
 ついさっきまで、知らぬとはいえ同じ酒場にいたわけだ。そのチャンスを思うと、男は、惜しいなと言わんばかりに軽く舌打ちをした。が、一瞬後には……その誘惑を振りきれるところが俺の一流たるゆえんだよなぁなんて解釈するあたり、自己陶酔型自分イチバン最高スゲえ系の思考性を保持する人物のようだ。
 男は暗闇に溶けゆくような速度で、まっすぐに隠れ家にしている時計塔の地下小屋へと走った。もう、彼の足なら歯牙の距離といえる。息を乱すことすらなく、男は角を流れるように曲がった。
 その、風に全身をなびかせる姿は、黒ヒョウのしなやかさを想起させる―――が、偶然彼に差しかかった街頭の光が、黒いと思っていた彼の頭髪を暗闇に赤々と光らせた。
 暗闇に赤く閃く疾風。
 この男こそ、アリーナ君がこれでもかというほどの気苦労と疲労困憊と羞恥とムカムカとを現在進行形で背負いこまされた今回の旅の―――諸悪の根源・世紀の大怪盗こと、赫斗(カクト)その人であった。

    ◇   ◆   ◇   ◆
 
 赫斗はネコ科の動物のようなしなやかさで、王侯貴族の部屋かと思わせるような調度品が、品良く飾り立てられた室内を音もなく行き過ぎると、その奥――― 一見するとタペストリーが掛けられただけの壁面にその手の平を押し当てた。
「開け、俺様天才最高その名は赫斗」
 とんでもない台詞は、解錠のパスワード。カチっという音とともに、壁面は隠された封印文字を浮かび上がらせると、すぅっと消え去った。
 それは、各地から収集したお宝を隠すための目くらましの封印であった。魔法系に全く疎い赫斗であるが、集めたお宝を厳重に保管するための必要技術として体得した技術系魔法である。封印文字と簡単な呪文だけで、一空間を丸ごと目くらまし出来るのだ。その効用は範囲内の魔法干渉カット。どこかの腕のイイ魔法使いが物探しの魔法で追跡してきたところで、その追跡をシャットアウトできるわけである。だからこそ、へたに追われる前に、毎回すぐさまココにお宝を収めて事無きを得ていたのだが―――ヤサを割られると対処できない。目くらまし魔法の応用なんて、赫斗には出来ないのだ。どこかのバカが、この、赫斗がアジトにしている家の場所を吐いてしまう前に、さっさと退散してしまうに限る。
(さぁてと、ゴンゴールのアジトにでも逃げ込むか)
 左右に綺麗に陳列されたさまざまな種類のお宝には目向きもせずに、赫斗は一直線に最奥の祭壇のようにしつらえた棚へ向かった。
 ずっと、気に入ったお宝は、手放すことが出来ずに収集してきた。けれど今は、そうやって集めたもの全てがガラクタにすら思える。赫斗はそれらの陳列物には目もくれず、最奥の祭壇前に厳かに跪いた。
「よぅ……元気か?」
 どこぞの貴族の伝来の飾り棚の上にはラ・ジュディファーノ王室の王冠を載せていた刺繍入りクッションをあつらえている。その上に真綿で包むように大切に大切に置き添えられたそれには、絹のレース編みがさわりと掛けられていた。あのアホ魔法使いは、こんな史上最高の宝石にクソボロ布―――赫斗にとっては雑巾としか思えないような布を、ほんの申し訳程度にちょこんと載せているだけだった。それも、埃が散り積もったじめじめした地下の小部屋に、ごろんと転がしていたのだ! もう、それだけで自身がこの至上の宝石・希少価値の高い竜珠―――世に言う「聖座の眼」の所有者として正統と豪語できる。真っ当な扱いをしてやれる。
 そう、彼は盗んだ日以来、毎日毎日、それはそれは大切に磨いたり空気を入れ替えたりと、あれこれ手をかけていたのだ。あんなアホどもが来なかったら、来週にでも上にかぶせる布の替えに、王都の貴族の家にでも忍び込もうかと思っていた。
 それが、である。
 絹のレース編みをそろそろと掴み上げながら、赫斗はその眉根を少し寄せた。
「ちょっと窮屈だけどな……我慢しろよ」
 「聖座の眼」の表面を二、三度愛し気に撫でてやると、刺繍入りクッションごとそれを持ち上げた。ちょうど横にあった少し大きめの宝石箱を掴むと、中の宝石を躊躇なく床にばら撒く。すでに、「聖座の眼」以外のコレクションに、何の未練もない。持って行くのはコレだけだ。赫斗は丁寧に「聖座の眼」を宝石箱に入れると、傷がつかないようにその上からクッションを被せて、箱を閉じた。
 そしてそれを脇に抱えてきびすを返そうとした、その刹那―――
「………っ!」
 本能的な感覚で、赫斗は三歩分、真横に飛びのいた。途端、赫斗の際を真白の光線が走る。 電撃的なスピードで飾り棚に突き刺さると、鼓膜を震わす轟音をとどろかせ、飾り棚は破裂した。
「クソ…っ!!」
 飾り棚の破片が舞い散る室内に目を凝らす。全身に緊張を走らせて前傾態勢を取ったのは、ほとんど無意識の所作であった。
(…はえー、じゃねぇか………)
 呟きは粉塵の彼方の人物に向けられていた。鮮やかな出現を果たした相手への、本心からの賞賛である。
(この俺が、先手を取られるとはな………)
 赫斗はそろりと指を腰に這わせた。ベルトに括り付けた袋の中身――細身のダガーを二本取り出す。両の手の平に馴染ませながらも、粉塵の先を窺った。
 「なぜ?」なんて考えるような愚を犯さない。赫斗はじりじりと、より有利になりうるポジションに移動しながらも、周囲に警戒をめぐらす。まずはココから無事逃げ出すことだ。
 赫斗はまた一歩、横へ足を滑らした。光の走った方向から推測するに、相手は扉側にいる。それならば隠し扉の方に逃げるのみ、だ。
 しかしその耳に、粉塵の先からさも得意げな、相手を挑発するためのみに発言しているんじゃないかとしか思えぬほど高慢な声が届いた。含み笑いすら込めながら―――

「随分と素敵な巣穴だ。壊してしまうには惜しいけれど、あなたも巣穴の宝物と一緒に死ねるなら本望でしょう? 退路はしっかり断っておきましたので、………いくらでもちょこまか逃げ回っていいですよ、いくらでも。せいぜい私を愉しませてください」

 揶揄するかのごとき声は、なにか美しい音楽を口ずさんでいるかのように室内に響いた。
                                

                                (03.02.11)


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