アリーナ君と魔法使い・第2章


 ◆◇ 6 ◇◆
 



 ―――焦ったのは、ほんの一瞬だけのことだった。





 アリーナ君はカリの腕の中で何度も何度もつばを飲みこんでいた。
 あんまり緊張したせいで、喉がカラカラに乾いている。ほんの一瞬の出来事。気持ちがまだ高ぶってるっぽい。視界がブれたと思ったら、喧騒に溢れかえった酒場から、この、小部屋と思しき閑散とした部屋へと瞬時に移動を果たしていた。本当に瞬く間の話で。
(……知ってたけど)
 カリの瞬間移動。目標物さえあれば、世界の裏側までも跳べるのだという。ただ、精神力や体力を大きく削らせる高等魔法の一種である。あまり多用はできないと言われているが、それをあざ笑うようにカリはちょくちょく一人で世界中を跳びまわっていた。―――ただし、あくまで”一人で”の話で、アリーナ君を連れて飛んだことは今までになかったのだが……
 まぁ、二倍以上に疲れることをわざわざコイツが好んでするはずないよなぁ…とアリーナ君は心中呟いた。呟いた途端、ふと、あやふやななにかが思考を捉えたが、それがはっきりと何だったのかは浮かばなかった。
(なかったよな……?)
 自信なさげに自問自答する。
 なぜだかわからないけれど、アリーナ君は何かに後押しされるようにぎゅっとカリにしがみ付いていた。
(……でも)
 ほんの少しだけ、吐く息を荒くさせたカリを下から見上げる。

(置いて行かなかった……)

 すごく―――あの時、すごく焦ったから。
 ”置いて行かれるっ”って、焦ったから。
 まだ、心臓が鳴り止んでくれない。
 喉の上下に合わせて、ちりんちりんとかすかな鈴の音がした。
 鈴の音がするってことは、こんなに近くにカリが入るってことは、ちゃんとアリーナ君が生きている証拠なのだ。アリーナ君は詰めていた息を深々と吐いた。
 たぶん、酒場の中でその兆候に誰よりも早く気付いたのはアリーナ君であっただろう。「赫斗だよ。……ネズミの巣穴を見つけた」 そう告げたカリをハッと見つめた。輪郭がすでにぼやけ始めたカリと視線が絡み合う―――

(置いて行かれるって、思った)

 すごく、すごく気持ちが逸った。
 置いて行かれたら、手が届かないぐらい遠くへ行かれたらって。
 けれど、余りに気持ちだけが逸ったせいか、身体はちっとも思い通りに動いてくれなかった。アリーナ君はただただ消え行くカリを呆然と見つめて。
 歯だけは食いしばっていたと思う。脂汗とか、絶対に身体中に浮かんでた。がくがくと、内から震えがきた。鈴の包囲から出られてしまうって、やっぱオレのことなんかって、あとからあとから湧き上がってくる思いが身体を縛り上げた。自分じゃもう、ぴくとも動けない。
 その時―――、絡み合った視線の先でカリが微笑したのだ。
 その妖艶に釣り上がった唇が滑らかな動きで囁く。―――「おいで」、と。誘うように、そっと腕を心持ち開いて見せて。
 それは最初から用意されていた行動のように、まるで当たり前だと言わんばかりに、アリーナ君に向けられていた。切羽詰った必死の形相のアリーナ君をからかうように、カリがくすりと笑った。
 一、二もなくなっていた。
 周囲とか、そういうのももう眼中になくなっていた。
 アリーナ君は、衝動的にカリに飛びついた。ぎゅっとその胸に、その腕に包み込まれて――――
 そして。
 抱きしめられたと思ったら、視界が二重になってしまったみたいにブれたのだ。えっ…といぶかしがる間もなく、視界の奥にあった景色がするりと全面に押し出てきた、そんなカンジで。
 アリーナ君はカリの腕の中からそろそろと辺りを見まわした。
(で、ここって……?)
 少し薄ぐらい小部屋は、ロウソクの灯りがいたる所でゆらゆらと影為している。その灯りを頼りに目を凝らしたところでは、何かなんだか……アリーナ君の価値基準を元に表現するなら、「金ぴらキラキラのなんかすっげー高そうなお宝の山だぞ、山!!」な状況であった。年代物の家具の上に下に、そして内部にも、所狭しと宝石や装飾品、美しい刺繍の為された布やタペストリーなどが並べられていた。左の壁には、貴金属で豪華にあしらえた宝剣の類いが数本飾られている。しかもその全てが、お手本にしたくなるぐらい整然と整頓されているのだ。所有者の、これらのお宝への愛を感じる。
(ここが、赫斗ってののアジト……)
 確かめるようにアリーナ君はカリを見上げた―――ら、
(う、うげぇ……)
 いつに増して、カリが惚れ惚れとするほど妖艶な―――つまるところ邪悪極まる微笑なんてモノを浮かべていて……アリーナ君は一気に背筋を凍らせた。
(ヤな予感なんてもんじゃねーっ!!! ヤなことが起こる。ってか、始まる。今すぐ始まる!)
 確信したように眉を寄せて、口をへの字に結んだアリーナ君を、カリはぎゅむぅと懐深く抱き寄せた。いきなりの所作に顔面丸ごとカリの胸に押しつけられたアリーナ君。ネコ耳をパタパタ振って抗議するが、カリはクスリと笑いを漏らしただけで、
「そこでじっとしておきなさい」
 そう小さく告げると、カリはそっと右腕を掲げた。腕の振りと呼応するように、その唇からアリーナ君には判別不可能の古語系統の呪文列が流暢に流れる。
 ピシリと、何かが閉じられたような幻聴を聞いた。
 辺りの空気が一変する感覚から、万年修行中のアリーナ君もさすがに封印系の結界が敷かれたことに気付いた。と同時に、カリの掲げた指の先に白光が宿る。煌くそれは、指先から放たれた途端、全てをなぎ倒し標的を貫く光の矢になる。
(あッ…!!!)
 カリは結界を結ぶのにほぼ連動する形で攻撃系魔法も周到に練り上げていたのだ。
 もう、絶対はっきり人離れしてるしッ!
 あまりの光量に、アリーナ君は瞳をすぼめた。その瞼に覆われた視界をも照らす光の矢が、カリの腕の一振りで真直線に小部屋の奥へと走る!
(人―――いるって!!!!)
 矢の行く先を追ったアリーナ君は、目をみひらかせた。
 矢は一直線に室内を駆け、奥の瀟洒な飾り棚に向かっていた。その棚の真ん前に、赤い髪が揺らめいたのだ。
「………ッぶない!!」
 叫びにならない声が、口先から零れる。
 しかし――――アリーナ君のその声は鼓膜を震わす轟音にかき消された。
 光の矢が飾り棚に命中した爆音が室内を反響したのだ。もうもうと粉塵が立ち篭り、破片が舞い散る。
 アリーナ君は力なくうなだれた。止めることも、あぶないって声を掛けることすら出来なかった。すごいワルイ奴かもしんないけど、ていうか泥棒なんだけど、ていうよりもこいつが聖座の眼を盗んだりするからオレ、ネコ耳だし、変な鈴だって付けられたんだけど……けれど、それでもまた一人、目の前でむざむざカリにやられてしまったのだ。
 アリーナ君だとて、ちゃんとわかっている。カリが強いのぐらい、はちゃめちゃに強いのぐらい、全然わかってる。でも、でもこんな風に毎回見せつけられるのは、けっこうクるのかもで……力の差だとか、その圧倒的な違いを改めて思い知らされてるみたいじゃんかよッ!!!
(くっそーっっ)
 歯軋りをギリギリ入れる。
 けれど、頭上でカリが軽く舌打ちを入れたのを気付いて、アリーナ君はハッと粉塵の先を見据えた。
 いくつかの破片がぼたぼたと飛び散るその先。
 光の矢によって破裂した飾り棚の真横、三歩分ぐらいの位置に―――
 信じらんねぇ……生きてやがる。
 カリの電撃的な攻撃を躱しやがったのだ。
(………こいつが)
 そんな奴は、これまでにいなかった。
 リファインの時にも感じた、変な意識がふつふつと甦ってくる。
 泥棒だけど―――こいつがカリに勝ってくれたらすげぇ儲けモンなんだけど………。
 もやもやしてる。なんか、オレの頭ん中、すんげぇもやもやしてるッ!
(こいつが”ジエルフェンドの赫い旋風”!!!!!!!!!)
 気がついた時には、全身に緊張を漲らせて前傾態勢を取る赤毛の男―――赫斗を、アリーナ君はギィっと睨みつけていた。
 カリがはちゃめちゃ強いってのもあったまくる。
 でも、そのカリに堂々渡り合える奴にもイイ気になれない。
 なんか頭もやもやで、ぐちゃぐちゃだけど。
(だけど!)
 なんかすげぇムカツク。
 なんかすげぇムカツクこいつッ!!
 

    ◇   ◆   ◇   ◆


「随分と素敵な巣穴だ。壊してしまうには惜しいけれど、あなたも巣穴の宝物と一緒に死ねるなら本望でしょう? 退路はしっかり断っておきましたので、………いくらでもちょこまか逃げ回っていいですよ、いくらでも。せいぜい私を愉しませてください」

 カリのその挑発に満ちた、愉悦混じりの台詞が始まりを告げる言葉であった。
 応じるように、赫斗が怒声を投げつける。
「ふっざけんなっての! お前を殺して逃げてやるって」
 じりじりと逃げ道を探っていた気配を完全に消して、豹のように鋭い視線を向けてくる赫斗。さすがに切り替えが早い。断ったという退路に一切の未練を切り捨てている。それならば”前”へ逃げるだけだ。そういう気迫が痛いほどに伝わってくる。
 前傾姿勢をより深くさせ、肉食動物さながらに獲物を狙う目線まで上体を傾ぐと、赫斗はふいに真横へ身体を滑らせた。
「食らいやがれッ!」
 正確に二本、細身のダガーを浅い振りで投擲してくる。一本はカリの肩に、もう一本はカリの左目に―――しかしそれら標的に当ることなく、カリの無形の盾に弾かれた。
 赫斗はそれに怯む色さえ見せずに、立て続けにまた三本、右手首と右目、首筋を狙ってダガーを放ってきた。その全てを高速で室内を移動しながら正確極まりなく放ってくるのだ。尋常の集中力・運動能力ではない。
 だがそれらも、紙一重のところでカリによって弾かれてしまう。
(……すげぇって)
 アリーナ君は渦中にいながらにして、一人かやの外気分である。
 両者のハイレベルな戦いをまんじりとも出来ずに見ているだけ。悔しいことに、あいかわらず他人がカリと戦うのを見ているだけのアリーナ君なのだ。まぁ、実際のところはカリの両腕にぎゅっと抱き締められていて、動きようもなかったのではあるが―――
(………でもなんか)
 すばやく移動した赫斗が死角から2本、今度は足元を狙ってダガーを放つ。しかしそれすら、張り巡らされたカリの防御障壁に阻まれる。金属的な音を立てて、弾かれたダガーが床を回転した。
 何か、変だった。
 うまく説明は出来ないけれど、何かがおかしい。すごい戦いだし、やはりいつものようにカリは憎たらしいぐらい強いんだけど。
 でも……
 アリーナ君は不安げにカリを仰ぎ見た。その目が、カリの不快に顰められた眉根を映す。
「……あ」
 小さな声が漏れた。
(怒ってる?)
 違う。苛ついてるっ……ぽい? その雰囲気が、”なんか変だぞッ”って、アリーナ君の気持ちをぞわぞわさせていて……
「人を煽った割には骨がねぇなぁ。もっと楽しくやろうぜー」
 一旦大きな飾り棚の後ろへ逃げ込んだ赫斗が、火に油を注ぐようなことを言ってくる。全くこの男はめちゃくちゃに人を舐めた発音をする。
 案の定、カリが底冷えするような声音で告げた。
「小賢しいネズミだ」
 言葉と、赫斗の逃げ込んだ飾り棚が破裂するのがほぼ同時。
 しかし――――、
「遅ぇ!! あんまり遅くて居眠りするところだっての!」
 すでにさらに後方へ逃れたらしき赫斗のからかう声。その方向から爆薬を詰めた小石状の爆弾を数個、投げつけてくる。
「あッつぅ………」
 殺傷能力うんぬんよりも、吃驚させることを狙った攻撃。その全てがカリの障壁に阻まれたものの、身近で爆ぜる火花にアリーナ君は小さく叫んだ。その混乱を突くように、新たなダガーが三本飛んでくる。
(うあっ……って!!)
 立て続けの三本、その全てがカリの喉元を鋭く狙ってくる!

「………ッ」

 思わずぎゅっと目を伏せたアリーナ君の耳に届いたのは、カリの苛立たしげな舌打ちだった。微かだけれど、確かにアリーナ君の鼓膜を微動させた。
(あ……って、ええっ!?)
 違和感に、あまりの違和感にアリーナ君はようやく気づいた。
(こいつ……)
 伏せた目をそっと見開く。
 赫斗の連続攻撃をも、重厚な障壁で防ぎ通したカリ。その強さに一つの綻びもないように見える。
 でも。
(でも……)
 アリーナ君はぷるぷる頭を振った。ネコ耳も合わせて揺れる。
 こういうのは違う。なんか全然コイツらしくない。 絶対違う! 違うったら違うッ!!
「マスター!」
 アリーナ君はカリの胸元の服地を掴んだ。必死に取りすがる。
 だって、そんなにキツそうな顔してるから。
 いつもは、ホント悪魔かと思うほどに愉しそうにに愉しそうに笑ってるじゃんか。嫌味なぐらい綺麗な顔してさ。相手を手のひらの上で踊らせたあげく、それをあざ笑うように鮮やかに一撃で勝負を決める。相手のプライドなんか粉々にして。それが愉しいって、そんなムカツク戦い方が大好きなくせに。
 オレの眼のほうが悪くなったんじゃないかって思うぐらい、すげぇ、顔色悪くして。舌打ちとか、似合わない事しやがって。
 その意味が、その訳がわかっちゃったから。
 アリーナ君は懇願するようにカリを仰いだ。喉が自然に熱くなる。
「マスター、オレっ……」
 焦ったように、アリーナ君が口走ったのと呼応したのは赫斗の挑発だった。
「あらまー、ガキにまで心配されてるよ」
 にやにやと語尾が揺れる。けれどその投擲はあくまで正確で―――
「馬脚が現れてきたってかー?」
 アリーナ君たちを中心に、赫斗は時計回りにすばやい移動攻撃を始める。室内のさまざまな家具を盾代わりに、間断なく攻め立てる。後ろから前から、ダガーが向かってくる。
 カリが絡め取るようにアリーナ君をきつく抱き締めた。その美しいラインの眉を寄せる。伏目がちの目はアリーナ君を捉えて。視線が結ばれた瞬間、ふとその眦が伸びたように感じた。
「マスター……」
 正確な狙いのダガーは全てカリの作った障壁で防がれている。
 でもそれだけで、精一杯ぽくて……うっすらと、カリの秀麗な額の際には汗が浮かんでいた。幾つか放った反撃の雷光は、すんでのところで赫斗に躱される。
 室内に響くのは、赫斗の高笑い。
「おいおい、ど〜したよ魔法使いサンさぁ、あんた世界最強じゃねぇの?」
 からかい、揶揄する赫斗。相手よりも有利であることを確信しているがゆえの余裕。戦闘それ自体を愉しんでいるような、そんなやり方。
 でも、本当なら、そういうのが一番似合うのはお前じゃない!!
 お前なんかじゃ……っ!!
 激昂ではない。じわじわと脳が茹ってくる、そんな感覚だった。
 アリーナ君はカリからほんの少しだけ身体を離した。視線を周囲に巡らす。
 なんか武器になるのを……縦に細長く割れた木片、タペストリーの芯棒、宝石で装飾された杖―――次々と視線を移してゆく。最後にその目にとまったのは、装飾品として作られたのであろう見目煌びやかな細身の剣。アリーナ君は迷わずそれを拾い上げた。
「オレも戦える!」
 お前なんかが偉そうにするのは絶対許せない。
「オレだって……」
 アリーナ君はすっくとカリを庇うように立ち塞がった。約二年ぶりに剣の構えを取る。忘れていた感覚が、けれど生々しいほどに思い出されてくる。
 赫斗の潜んでいる方向へ剣先を向けた。
「ガキが意気がんなっての!」
 即座に赫斗の牽制が入る。けれどアリーナ君も負けていない。つばを鳴らして威嚇する。
「うるせぇ、黙って勝負しろ!!」
「百年早ぇんだよ、クソガキが」
 呆れ混じりの怒声。その矛先はすぐさまカリに向けられる。
「……ったく、いーかげんにしろよ、魔法使いサン。あんた最低。ガキを盾に使うなっての」
 心底軽蔑したと言わんばかりに赫斗が吐き捨てる。
(違うッ……!)
「それで世界一? もてはやされまくりな割に、実力ナシじゃねぇか」
 それともやる気ねぇのか……なら、俺がヤっちゃうだけなんだけどさ。
 言いたい放題の赫斗の罵声がアリーナ君に突き刺さる。
「違うッッ!!」
 自分が扱き下ろされたみたいに……それ以上に腸が煮えくりかえる。
 知らないくせに。
 お前なんか知らないくせに!!
 アリーナ君はぎゅっと剣の柄を握り締めた。
 その僅かな動きに、首もとの青いリボンに通された鈴が小さく揺れた。その微かな音を聞きながら、唇をかみ締める。
「お前なんか何にも知らないくせに、ふざけた事を言うんじゃねぇ!!」
 本当なら、カリがこんなに絶不調じゃなかったら、お前なんかイチコロなんだよ! 調子に乗るんじゃねぇ!
(オレのせいで……オレなんか連れて来るから………)
 瞬間移動魔法は、一度の発動だけで体力・精神力を大きく削る。普通の魔法使いなら、使いこなすことすら出来ない高等魔法だってのに。
 ―――当然のように、オレに手を伸べた。
 けれど、やはり二人分跳んだ疲労は並大抵のものじゃなかったのだろう。それが、カリの力を半減させてしまって……
 アリーナ君は腰をすっと落とした。剣を晴眼に構え直す。
(ならオレが代わりになるから……)
 それが、自分でも全然説明が付かない行動だってのはわかっていた。いつだって、アリーナ君が願っているのは悪徳魔法使いからの解放で、そのためなら他人の力を借りるのもやぶさかではなかったはずで。
 躊躇いは思っていたほどなかった。アリーナ君の剣は、カリを背にして赫斗に向かう。
 もしアリーナ君がその事実を知ったなら、―――カリに抱かれて瞬間移動をしたのが今日二度目であることを知ったのなら、その剣先にはより揺るぎ無い力が込められていたかもしれない。その気持ちに、思いに、今までとは別の何かが宿ったかもしれない。
 けれど今確かに、この二年間で初めての衝動がアリーナ君を突き動かしていた。
 気迫を漲らせたアリーナ君に赫斗がおちょくりを入れる。
「慣れない物を振りまわしてんじゃねーぞクソガキ。ソイツは玩具じゃねぇっての」
「そっちこそコソコソ逃げ回ってんな!」
 声のする方向に剣先を巡らせながら応じる。右かと思ったら、左で物音がする。ホント、ネズミみたいにすばしこい奴!
「あ〜あ、なっちゃねぇな。隙だらけだっての。こんなのが俺様の相手かよ。そっちの魔法使いサンもつまんねぇし……」
 語尾が間延びする。はっきりと居所が知れない。アリーナ君の剣が左右に振れた。
(右か……?)
 微かな床のきしみに体ごとそちらへ向いた。
 しかし――――
「結局、名声も針小棒大、誇張されまくりの偶像だったってオチか?」
 空気を切り裂く乾いた音が、アリーナ君の後背で鳴った!
(後ろっ!?)
 慌てて振り返るが、完全に遅きに失した。
 間に合わないッ……振り向いたその視界に、ダガーの切っ先が切迫する。
「―――ッぅ!!」
 息を飲みこむ。衝撃に備えて身を固くした。
 けれど次の瞬間アリーナ君を震撼させたのは、ダガーの食い込む痛みなんかではなくて―――それ以上に最もアリーナ君を驚かせるにふさわしい、二年の長きに渡って刷り込まれ続けた畏怖を呼び覚ます声。
 吐く吐息すら、凍えるように冷徹極まりない。
 その唇は、見慣れた形に笑みを這わせて。
 怜悧な双眸が、すぅっと細められた。

「煩いな」

 その、ただ一言だけで。
 アリーナ君の心臓を一直線に狙っていたダガーが、重力に引かれるまま床に落ち、跳ねたのだった。


                                (03.04.08)


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