アリーナ君と魔法使い・第2章


 ◆◇ 7 ◇◆
 
 アリーナ君は高鳴る鼓動に耐え切れないように、その胸をぎゅっと押さえた。
「本当に君たちは、放っておいたら喧々囂々と……耳障りな」
 後方から冴え冴えと響き渡る声。アリーナ君は笑ってしまう膝を必死に持ち堪えさせた。その足元には自分を狙って向かってきたはずのダガーが転がっている。
(だって……あんた、さっきまでッ!!)
 反論のようなものが浮かんでは消える。後ろから寄せてくる凍える程に鮮烈な波動が、言葉以上のものを告げていた。
「私がどうだこうだと勝手な物言いをしていたようですが、まず最初に言ったでしょう、いくらでも逃げ回りなさい、と。―――忘れたとでも?」
 カリのくせに、なぜだか理由なんかちっともわかんないけど復活したっぽいくせに――――ああ、でももしかしなくても元々こういうのを狙ってたのかもしれないけどッ!! ――まぁ、それが一番カリらしいのだが、とにもかくにもくすりとも笑わない。淡々と言葉を連ねる。それがまた、非常にとてつもなくとんでもなく、怖い。
「それとももう逃げ回れないと悟ったとでも?」
 切れ味鋭い刃物のような問いを重ねる。ごくりとつばを飲みこんだのはアリーナ君であった。
(わー……)
 もう、言葉もない。冷汗だけが、ダラダラと背中を流れる。
 もともと垂れ下がりぎみのアリーナ君の肩が、さらに力なく下がる。ぴーんと立っていたネコ耳も、しょげ返ってしまう。
(……本気の本気で機嫌悪いッぽい……よ、なぁ)
 それはまぁ、目の前であれだけ悪し様に罵られたのだし、プライドが人並みはるかに超えて天をも貫いているカリである。赦すとか、赦さないとか、そういう次元はとっくに超えて、さぁどういう風にずたずたにしてやろうかってところなんだろう。その場合、勿論なのだろうがアリーナ君だってバッチリその余波を食らうのだ。いやいや、余波どころか、大波の波涛がばーんと砕ける可能性も大なワケで……そういやなんかマズイこと口走ったような気もするし……大変マズイことしでかしたような気も大いにしてくるアリーナ君であった。
(ううっ……)
 背筋をぞくぞくと駆け上る悪寒めいたもの。
 そのアリーナ君の悪寒は、次の瞬間に寸分違わず現実のものとなり、アリーナ君を震わせた。後方からのカリの声が、普段の口調からすると、ひどく素っ気無く―――揶揄する色もなく滑らかに終わりを突き付けてきたのだ。

「まぁ、どうでもいいことですね。貴方はもう死ぬのだから」

 全く取るに足らないことのように、あっさりと告げ―――
 そしてその瞬間、ピシリと、どこか施錠が解かれるような音が鼓膜を掠めたのだった。

    ◇   ◆   ◇   ◆

(ッうー――――!!!!!)
 その音に、アリーナ君は両のネコ耳をぱさりと押し塞いだ。
 やな予感だ。かつてないほどやな予感だ。でもってアリーナ君の場合、やな予感はデカければデカイほど大的中してしまうのだ。
「あっ……!!」
 耳を塞いだ体勢のまま、ぎゅっと冷たい腕に包まれてしまい、アリーナ君は小さく声を漏らした。その頬に、艶やかなカリの黒髪が覆いかかる。ひんやりとした感触が、頬に伝わった。
「……じっとしておきなさいと言ったのに」
 囁く声は、どこかため息混じりにアリーナ君に降ってきた。
「……あっ、と」
 いつものカリらしくない調子に、アリーナ君のほうまで変になってしまう。うまく返事が出来ない。
(だって、りょ、両手塞がってるし……)
 後ろから回されたカリの腕に、ちょうど両手とも動きを封じられている。だから、うまく抵抗できない。
(そ、それにコイツがやたらと凭れ掛かってくるから……)
 重いわけじゃないけど……重くないんだけど……重いような気がするっていうか……うっ、ううんと……
「マ、マスター……」
 早々に音を上げたアリーナ君の頬を、くすりとカリの微笑が撫で上げた。それはいつもの、カリらしい不敵な笑い方で。
「無駄だよ」
 告げられた言葉に叩き落されたように、暗闇から飛んで来たダガーが三本床に爆ぜた。舌打ちが暗闇から聞こえてくる。
 それすらあざ笑うように、カリは笑みを深くする。赤い舌先を覗かせてアリーナ君の頬をペロっと舐める仕草には、すでについ先ほどまでの雰囲気は一掃されていた。いかにも彼らしい、不遜極まる態度で。
「”無駄な足掻き”というものを堪能するのも嫌いではないのですが……、もう、飽きたんですよ。お遊びはおしまいにしましょうね」
「なんっ……だとッ!!」
 終始戦いをリードしていたのは自分だとばかりに、赫斗が怒りを爆発させる。しかし、そんな態度など、今のカリにとっては愉悦の対象に過ぎないのだろう。相手の神経を逆撫でるためだけに発せられた、くつくつとした笑い。
「そうだな、最後にとっておきの花火を見せてあげますよ。とても派手で美しい花火……この時計塔を中心に、町全体を覆い尽くす真紅の大輪―――さぞや美しく月夜に映えるでしょうねぇ」
 いかにも愉しげに語られる幻想に、一瞬アリーナ君もその真っ赤な花火というヤツを想像してしまう―――が。
 しかし、この場合、いや、もう絶対に―――アリーナ君は肩を竦めた。
(花火って……で、でも…それって!!)
 コイツやっぱり全然弱ってねーじゃんっ!!と脳内でツっこんだアリーナ君であるが、今更どうしようもない。やはり、やはりあの時向けるべき剣先は絶対間違いなく、この、最低最悪の悪徳魔法使いだったんだと地団駄踏みたくなる。
(あああああああ、オレの大バカ。オレの間抜けのオレのトンチンカンでオレの前後不覚のアホ〜〜〜〜〜っっ!!!!!)
 脳内でひたすら自虐してみるが、いまさら過去を変えるべくもない。世紀の大失態だ。カリがほんのちょっととはいえ、弱まっているように見えたその隙に日頃の恨みつらみの一つでも取り返しておくべきだったのに―――アリーナ君はネコ耳を抱えて唸った。
 あああああっ、もうっ、一体何を大間違いしてコイツを手助けするような真似をしたんだろう。くっそー、神様なんかいるはずないけど、いなくてもいいから頼むから誰でもいいから、ほんの少しだけ時間を戻してくれーッ!!!!
 今更盛大に悔やんでみるアリーナ君であるが、そんな彼に似合いの言葉は”後悔先に立たず”以外の何物でもなかろう。そして、本人の意図したくもないことだろうが、そんな姿がとてもよく似合ってしまうアリーナ君である。もしかしたら、そういう運命の星の下に本当に生まれたのかもしれない。
 くすりとカリが微笑ったのはアリーナ君のネコ耳の先端だった。微かに毛先が揺れる。とても綺麗な柔らかい笑い方であったが、その放たれた言葉はこの上なく切れ味鋭かった。
「判りますか? あと一言、私のあと一言で、世にも稀な花火が咲く」
 花火――――それはアリーナ君の勘違いでなければ、勘違いであればどれほどいいとすら思えるが、確実にそんな楽しいもんじゃない。そう、さっきの音がアリーナ君の予想通り、何らかの高等魔法が完成した音であるなら―――
(確実に、ココら辺一体が丸焼きになるってことだろッ!?)
 ブルっと震えがまた来た。
 そりゃ、カリは悪い魔法使いって世の中に知れ渡って怖れられているけど、ってよりも、自分自身で身を持ってアレコレ酷い目に会ってきたわけだし、さんざん不法侵入者たちを世にも無体なやり方で撃退するのを見てきたわけなんだけど――――でも。
 うまく言葉にはならない。頭の中がぐるぐるになっている。
 でも。
 アリーナ君はきゅっと耳元を押さえた。その手の甲をカリの艶やかな黒髪が滑る。
(でも、オレ、わかってたのに、そんなヤツだって知ってたのに、大っっ嫌いなのに――――なのに、コイツを庇うみたいなことしたんだ)
 なんでだ?
 なんで?
 考えても一向に答えなんて浮かんでこない。後ろからその腕に包みこまれているから、カリの浮かべているであろう邪悪な笑顔でもって、いつものように怒りを新たにすることすら出来なくて。
「マスター……」
 ちいさくアリーナ君が呟いたのと、木彫りの装飾細やかな箪笥の裏から罵倒が飛んだのはほぼ同時だった。
「てめぇ……まさか最初ッからそのつもりで!!!!!!!」
 憤りに赫斗は言葉を詰まらせた。体勢を崩したのか、床のきしむ音が続く。
 そのつもりで―――その先の台詞はアリーナ君にも想像できた。
 ”そのつもりで、デカイ呪文を唱えていたのか”―――最初から、計算通りに。ただの時間稼ぎで赫斗をままに泳がせていただけに過ぎない、とでも。
 あくまで手の平の上で踊らせていたに過ぎないとでも?
 それをせせら笑っていたとでも?
(だとしたら、あんまり滑稽だ)
 赫斗の憤りはなんだかものすごく身近に感じてしまう。いや、身近なんてモンじゃない。それはもうずばり、この2年間のアリーナ君そのものなのである。カリの手のうちでコロコロ転がされ翻弄されまくったアリーナ君そのものなのだ。
(ああうう、やっぱり……)
 まとまらない頭の中に、どどーんと重石が乗っかるような気がした。
 そしてそれに、さらにもう一つ、決定的な重量が加わる。なんとも可笑しなことでも聞いたかのようにカリが破顔して告げたのだ。
「まさか……」
 耐え切れぬように、顎をアリーナ君の頭髪に押し付けるように引いて、そして、カリは視線だけ上げた。眦がすっと切れあがる。
「たいした自惚れを持っていることだ」
 語尾に隠しようもない嘲笑を込めて、カリは艶然と微笑んだ。
 右手をそっとアリーナ君の頬に走らせる。
 

    ◇   ◆   ◇   ◆

 ―――そうだな。死ぬ前に少し話をしましょうか。

 そう呟いたカリは、アリーナ君の頬から顎のラインに指先を這わせつつ、揶揄する響きを多々含めて話し始めた。

 ―――君はユーティエの館に自力で侵入したとでも思っているでしょう。おめでたい人だ。そういう思考回路を持っている人間は嫌いじゃないな。一つずつ、化けの皮を剥がす甲斐がある。……ああ、違うな。私は親切にも、本人に気付かせてあげているんですよ。本来の自分というものを。ですから、感謝して欲しいほどだ。君も―――君が実力で解呪した封印がこの子でも解けるレベルだったと知れたほうがいいでしょう?
 ―――聖座の眼は大切に保管してもらえていたようですね。君ならそうしてくれると思っていましたよ。ジエルフェンドの疾風、宝石の鑑定眼にかけては右に出るものがいないとか。この上なく、宝石を愛していると伺っていますよ。……そんな君が、聖座の眼を他の何者にも晒すはずがないとね。その点に関して君は信頼できる人だ。優しくしてあげたくなります。
 ―――だからこそ、私にしては迂遠なやり方をしたつもりなんですよ。この町へ訪れるのに、半月もかけたのだから。ねぇ、アリーナ君。楽しい旅も、これでお仕舞いといういう訳だ。君も存分にあれを鑑賞できたのだから、悪くはなかったでしょう?
 ―――ああ、あの騒ぎですか? それこそ単純明快です。現に君は聖座の眼を……私の探知呪文付きのあれを結界から持ち出したでしょう?
 ―――君に相応しいやり方で殺してあげようと思っただけだよ。……でも、結果的に君は、私の好意を仇で返したということになりますね。

「他には? ―――ああ、もう、質問はないのかな?」
 カリは愉悦を込めて言う。一つずつ、明らかにしていく真実にあざけりを効果的に入れて。ずたぼろに切り刻むのをその秀麗な笑顔で見据えるのだ。
(…………やっぱり)
 アリーナ君は、心の奥底から強く、強く怒りの炎を燃え上がらせた。
「では、もう思い残すこともないでしょう。死になさい」
 ひどくあっさりと告げるカリに、アリーナ君の怒髪は天を衝いた。
(やっぱりコイツなんか大ッ嫌いだー――――ッッ!!!!!!)
 ぎゅっと頭上で拳を握り締める。怒りに反応したみたいに、ネコ耳がキッと立ち上がった。ああもうワケわかんないぐらい、アッタマきた!!!!
 カリがアリーナ君の顎に添わせていた指先をすっと掲げる。アリーナ君は身を捩ってカリの拘束から抜け出ると、その指を両手で押し篭めた。
(ぜってー好きにさせるか!!)
 ぐいぐい押さえつけて動けなくさせる。
 その指の動きを止めただけで、魔法の行使を止められるって決まった訳じゃない。でも、今、アリーナ君が出来る抵抗なんかこれぐらいしかなくて―――
 振り払うでもなく、カリは短く嘆息した。その刹那には、右手を強引に寄せてアリーナ君をその胸に抱き取った。
(駄目だッ!)
 浅く息を整えたカリの気配に、アリーナ君はその目をぎゅっと瞑った。
(いっぱい殺しちゃう―――――)
 

 しかし、カリが最後の呪文を口端に乗せた寸前。
「そこまでだ!」
 高らかに、リファインの厳しい声が室内に割って入った来たのだった。


                                (03 04.28)


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